誰もが毎日目にしている、「壁」。日常の景色に溶け込み、その存在に焦点が当たることは少ないかもしれません。長い間、日本の壁づくりを担ってきたのが、コテで土や漆喰を塗る左官職人。その技は、世界でもトップレベルと言われています。
株式会社フッコーは、創業以来、職人が塗る壁材を作り続けてきました。壁は単なる「背景」ではなく、日常のあらゆる空間を完成させるために不可欠なピース。その考えのもと、素材から色、質感、塗り味にいたるまで、こだわり抜いています。70年間、日本の壁を支え続けてきた壁材メーカーの思いに迫ります。

杉山成明(すぎやま・なりあき)
株式会社フッコー代表取締役。1977年、山梨県甲府市に生まれる。工学院大学大学院にて建築学を専攻し、左官材料の漆喰、モルタルおよび再生骨材コンクリートを研究。2021年より家業を継ぎ、左官・塗装材料の製造・販売を主な事業とする株式会社フッコーの代表取締役に就任。一級建築士。公益社団法人日本建築家協会(JIA)関東甲信越支部外装材グループ代表幹事、一般社団法人日本建築美術工芸協会(aaca)文化事業委員会副委員長、国際文化会館会員。
事業の始まりは「着物の染窯」で作った壁材
当社の主な事業は、建築装飾用の壁材製造です。左官職人がコテを使って仕上げる壁材、いわゆる左官材を作っています。このほか、断熱材を壁材で保護する外断熱事業も展開しています。また、透水性舗装事業では、水が染み込みやすい舗装材を開発しています。これは、地面の透水性を上げることで、豪雨などによる冠水事故のリスクを下げる、都市型水害を減らすというものです。さらに、海外技術支援事業として、海外の原料メーカーと協力し、製品開発に必要な技術の提供にも取り組んでいます。
当社は、1955年に私の祖父が立ち上げました。祖父の実家はもともと山梨県で着物の染物業をしていましたが、時代とともに着物の需要が減り、第二次世界大戦後は、染物をするための材料の不足、戦後の貧しいなかでの着物の需要減にも直面しました。そこで始めたのが、壁材製造です。着物の染色工程で眼前の川から運んできた砂を着物の染窯で色染めし、糊を混ぜて壁材を作ったのがスタートです。設立時の社名「東京福幸壁材工業」には、祖父の思いが込められています。戦前、祖父は東京の建築金物屋へ丁稚奉公に出ていました。戦争が終わり、戦地から戻った祖父が目にしたのは、焼け野原になった日本の姿。東京の惨状も、目の当たりにしたといいます。
事業を始めた当時、祖父が掲げた使命が「日本の復興」です。「まずは首都・東京を復興していこう」という思いから、「東京」そして「復興」と同じ音の「福幸」を社名に入れました。その後、1980年代に日本企業の間で、漢字の社名をカタカナやアルファベット表記に変える動きがありました。当社の社名が「フッコー」になったのも、この頃です。

合わせて、会社のロゴも犬を模した現在のデザインに変わりました。モチーフとなっているのは、先代の会長の祖父と現会長である父が可愛がっていたドーベルマンです。愛犬が亡くなった日、父は悲しみに暮れたまま海外出張へ向かいました。ヨーロッパの空港で、犬がデザインされた企業ロゴに出会い、そこから着想を得たそうです。犬には主人に従順なイメージがありますよね。このロゴには、「お客様に従順・誠実に接するように」という思いも込められています。
「なくてはならない名脇役」を支える
「壁」は空間を構成する要素として、非常に大きな役割を果たしています。日常生活で壁の存在に注目する人は少ないかもしれませんが、壁のつくりがいい加減だと、居心地が悪く感じるものです。また、その空間に置かれた絵や家具を引き立たせるのも、壁の重要な役目のひとつです。壁は主役にこそなれませんが、「なくてはならない名脇役」といったところでしょう。これを支えるのが、フッコーの仕事です。

当社が特にこだわっているのが、製品の色です。繊細なニュアンスを求める建築家の方々にも、高い評価をいただいています。これには、当社が染色業にルーツを持つことが影響しているかもしれません。
もちろん、材料の品質にも妥協しません。混ぜ込む石のサイズや形によって、仕上がりの印象は大きく変わります。求める機能や見た目に応じて材料を選び、理想の質感を実現するために、一から素材を探すこともあります。
ベースとなる原料には、古くから漆喰や土が使われてきました。現在では扱いやすい樹脂が一般的に使われていて、樹脂は汚れても水拭きができるため、飲食店などの壁に適しています。砂などの自然素材を加えれば、意匠性の高い、土壁風の仕上がりにすることも可能です。
当社では、環境負荷を軽減する観点から、長く使える製品づくりにもこだわっています。一度塗ったら、壁材が最後まで建物に添い遂げるイメージです。耐久性だけでなく、経年変化を楽しめることも大切にしています。
例えば樹脂系は耐久性が高い一方で紫外線に弱く、土などの自然原料を使ったほうが雰囲気を出せます。人が歳を重ねるごとに味わいを増すように、エイジングによって建物の歴史が感じられるよう工夫しています。
ただ、伝統的に使われている素材の中には製造に手間がかかり、作り手が減っているものもあります。そこで私たちは、昔ながらの素材を自社で作るプロジェクトを始めました。
現在作っているのが藁苆です。壁材に混ぜることで補強材の役割を果たし、意匠性を高めることもできます。藁苆を作るには、まず乾燥させた稲藁を水につけてアク抜きをします。その後、天日干しをして再びアクを抜き、乾かしてから細かく刻んでふるい、大きさを整えます。 左官屋さんの中には、こういった作業を自分たちでするところがまだありますが、メーカーが自ら作る例はほとんどありません。品質にもつながる部分なので、「せめて自分たちが使う分は自分たちで作ろう」と考えています。
高価格でも選ばれる唯一無二の仕上がり

フッコーの壁材は、小規模の店舗から大型の公共施設などに携わる設計事務所や建築家、デザイナーの方々のご指定をいただいて納入、一部施工を行っております。そのほか、ハウスメーカーとお仕事をさせていただくこともあります。
製品を塗った後の仕上がりは、メーカーごとに異なります。お客様には、「やっぱりフッコーさんの仕上がりは違うよね」という声をいただいています。独自の質感や色が重なり合い、ほかにはない雰囲気を生み出しているのだと思います。品質にとことんこだわっているので、他社に比べて価格が高いことも事実です。それでも本物の仕上がりを求める方々に、当社の製品がお選びいただけているようです。
壁の施工方法には、工場であらかじめ作っておいたパネル材などを現場で取り付ける「乾式工法」というものがあります。工期が短く、手軽に施工できるため近年普及しています。しかし、既製品を貼り合わせるので、どうしても目地が出てしまたり、同じパターンが繰り返されたりします。木目調や左官調など多くの種類がありますが、不思議と本物ではないという違和感を空間へ与えている気がします。
一方、当社が扱うのは「湿式工法」で使われる壁材です。素材の主原料は樹脂や漆喰や石膏など様々で、イチから手で仕上げていくため工事期間が乾式部材よりも長くなります。職人の技術が必要ですが、目地が出ずに自然な仕上がりになります。フッコーの製品は、乾式材の壁に違和感を持つ方や、より味わいのあるニュアンスを求める方に定評があります。
当社では、営業職であっても、基本的なコテ使いや吹き付けができるようにしています。コテの使い方によって壁材のパターンがどう変わるかを理解していないと、建築家や左官職人と話ができません。
それに、フッコーは提案型営業を得意としており、既存の製品にアレンジを加えていくこともあります。最終的に製品にするのは技術部ですが、伝達役である営業マンにも、左官の知識が必要です。建築家・デザイナーのイメージを形にするため、メーカーとしてできる限りのことをしています。
「世界一の品質」を活かす塗り手の技術
私たちは、「アジアNo.1壁材メーカー」を目指しています。海外の取引先としては、中国、台湾のほか、タイなどの東南アジアが中心です。将来的には、ヨーロッパへの輸出も視野に入れています。
海外には、センスの面で学ぶべき部分が多くあります。ヨーロッパの壁が持つ雰囲気は非常に参考になりますし、東南アジアの先鋭的なデザインにも刺激を受けます。
しかし、品質の点で言えば、日本の壁材が世界一でしょう。日本の気候は、地域や季節による寒暖差が激しく、湿度の差も大きい。この厳しい環境に合わせて製品が作られています。また、日本人の感覚は非常に繊細です。独自の高い基準をクリアした日本製品は、そのまま海外に持って行っても十分に通用します。
とはいえ、いくら製品の質が良くても、職人に確かな「腕」や「目」がなければ、美しい壁には仕上がりません。食材が良くても料理人が悪ければ料理の味が落ちるように、塗り手の技術がなければ良い壁は作れないのです。海外にも左官文化はありますが、主流はやはりペンキです。
日本の左官職人は「一人前になるまでに5年はかかる」と言われています。そう考えると、海外で一から技術者を育てるのは難しいでしょう。日本の左官文化は世界的に評価されていますので、日本の職人集団をそのまま海外に派遣するようなことができれば、面白いかもしれません。
左官が“建築の花形”と呼ばれていた時代

特殊な仕上げが必要な現場では、熟練の技が求められます。最近は左官職人が減っていて、元請で人数を揃えられないこともあります。そのような場合は当社がつながりを持つ職人に現場に行ってもらい、施工まで行います。
現在、日本の左官職人の約半数を60歳以上が占めています。左官になる若者が急激に増えない限り、15年ほどで半減する見通しです。メーカーとしても、塗り手が減れば製品が売れませんし、もちろん値段にも跳ね返ります。メーカーも職人も、お互いがいないと成り立たないのです。
現在は減少している左官も、かつては“建築の花形”と呼ばれていました。「左官」という名の由来は諸説ありますが、大工は「右官」、壁塗り職人は「左官」と呼ばれ、宮廷に出入りを許されていたそうです。今は家を建てる際、ハウスメーカーに依頼するのが一般的ですが、電気がない時代は大工が骨組みを作り、左官が基礎、水回り、壁を塗っていました。
現代は職業の選択肢が多く、左官の魅力をどう伝えていくかが難しいところです。職人が活躍できるフィールドをつくらなければ、左官文化は消えてしまいます。私たちが扱いの難しい製品をあえて作り続けるのも、左官文化を残すためです。
素材や対象にかかわらず、「コテで塗る」のが左官の仕事です。その技術を活かすことが重要だと考えています。例えば、左官文化を守るためには、乾式材と湿式材を融合させるという手もあります。職人が輝ける場をひとつでも多くつくり、若い人たちに「左官になりたい」と思ってもらえるようにしたいです。
4000年続いてきた文化をなくさないために

内装壁:マヂックコートIN、特注仕様、鏡面HR 特注色
当社の壁材を採用していただいた建築物のひとつに、2023年にオープンした水戸市民会館があります。館内の「やぐら広場」は、この建物のシンボルともいえる空間で、木造の太い柱梁と左官材の塗り壁で構成されています。設計を手掛けたのは、建築界のノーベル賞「プリツカー賞」を受賞された伊東豊雄先生です。大工の文化を残すために木を、左官の文化を残すために左官材を使われたそうです。
以前、先生と対談をさせていただいた際に教えていただいた言葉があります。「文明は土から離れること、文化は土に向かうこと」。これは先生のご友人である文化芸術プロデューサーの浦久俊彦さんによるものです。土を扱う左官は、まさに文化に通じる仕事です。先生には、「フッコーさんは、文化を残す使命を持って頑張ってください。そうしないと、私たち建築家もいい建物を建てられませんから」と言っていただきました。
私は、自社の経営に携わるようになってから、あらためてこの仕事の意義を考えるようになりました。左官文化は、さかのぼること縄文時代、約4000年前からあると言われています。私たちが塗り壁に囲まれると何となく落ち着くのも、きっと心の中に、ご先祖様の代から流れているものがあるからでしょう。極端な言い方をすれば、左官がなくなったところで大きな影響はないかもしれません。しかし、せっかく続いてきたものをなくさないようにする努力も必要だと思っています。
当社が「戦後日本の復興」を使命に掲げてから、70年が経ちました。私たちは、次の100年を見据えて歩き出しています。日本の左官文化を守っていくことが、今後の大きな役割です。今まで続いてきたものを、この先も残していくこと。これが当社の使命だと考えています。
取材・文・編集:神田朋子












