遊牧民だった私が、日本で起業。外国人材と日本企業の「架け橋」になりたい

かつてモンゴルの草原で羊を追っていた一人の遊牧民。その彼こそ、現在、日本でWBPグループ株式会社の代表取締役を務める五十嵐一氏です。異国の地に渡り、130人を率いる組織のトップに立つまで。その道のりには、ある日本人との出会いが大きく影響していました。

言葉も分からないまま来日し、家や仕事探しの壁に直面しながらも、不屈の精神で学び続けてきました。その中で、企業による外国人採用が十分に行われていないという不条理に直面したことで、起業を決意。海外の学生に「学び」と「自立のための資金」を同時に提供する独自の人材事業を核に、多角的な事業を展開してきました。

さらに、「2034年までに50社のグループ会社をつくる」という壮大なビジョンを掲げる五十嵐さん。その背景には、日本への深い感謝があります。日本での経験を「恩返し」に変え、日本一のグローバル企業を目指して突き進む五十嵐氏に、これまでの歩みと今後のビジョンを語っていただきました。

恩人に導かれ、モンゴルから日本へ

19歳まで過ごした故郷・モンゴルの大平原

私の人生が大きく動き出したのは、1999年です。モンゴルで中学を卒業したばかりの私は、経済的に余裕のない我が家の状況を踏まえ、高校には進学せずに家業を継ごうと考えていました。そんな折、モンゴルでおこなわれた「ゲル体験ツアー」で、日本人観光客をお迎えする機会がありました。私は「楽しい思い出を持ち帰ってほしい」との思いで、精一杯のおもてなしをしました。すると、その様子を見ていたある日本人夫婦が、高校3年間の学費の援助を申し出てくれたのです。これが、のちに里親となるAさんご夫婦との出会いでした。

それからというもの、Aさんご夫婦は毎年モンゴルを訪れては、ボールペンやノート、日本の美しい四季や金閣寺を写したアルバムを届けてくれました。色鮮やかな紅葉や桜の写真を目にするうちに、「日本に行きたい」という強い想いが募っていきました。

そして19歳で高校を卒業すると同時に、叔父の猛反対を押し切って、日本へ行く決意を固めました。しかし、肝心の渡航費用が足りません。ここでもAさんご夫婦に手を差し伸べていただき、ようやく日本の地を踏むことができました。渡航費だけでなく、学費や生活費に至るまで、Aさんご夫婦には家族同然に支えていただきました。

恩人が暮らす縁深い地・兵庫県尼崎市(阪神電鉄・尼崎駅前にて)

当時、日本語で「こんにちは」すら書けなかった私は、まず日本語の語学専門学校に2年通いました。卒業後はIT系の大学に進学したものの、内容が合わず、1年で退学。次の大学では、就職後に活かせると考えた人間関係について学ぶために、心理学を勉強することに。4年後に無事卒業することができました。楽しみながら学ぶことができたので、「良い選択をした」といまでも思っています。

外国人採用の裏側を知り、起業を決意

いまとなってはいい思い出ですが、日本人の保証人がいなかった学生時代は、家を借りるにもアルバイトをするにもかなり苦労しました。

就職活動では80社以上に応募。リーマンショックの直後ということもあってなかなか採用が決まらず、ハローワークを通じてなんとか大手の人材会社に就職できました。
入社後は、自分が採用する側に。外国人材の方に面接をする機会もありました。私が彼らに抱いた印象は「真面目で、一生懸命」。にもかかわらず、会社も取引先も「最初から(外国人材の採用を)予定していない」という理由で採用に至らず、板挟みになって何度も大変な思いをしました。

外国人材の就職についての裏事情を知ったことで「これでは外国人は絶対に就職できない」と思うように。

また、自分がアルバイトや家探し、就職活動で苦労したことで、「外国人材と日本企業を直接つなぐ会社をつくるべきだ」と強く感じるようになっていきました。
そして、32歳で独立し、2016年2月、現在代表を務めるWBPグループ株式会社を立ち上げました。起業には、幼少期の経験が大きく影響しています。両親が経済面で苦労している姿をずっと見てきたからこそ、「日本で必ず成功して、豊かに暮らしたい」という思いは誰よりも強かったのです。来日する際は、家族にも「(モンゴルには)もう戻らない」という約束までしていました。

創業当時の事務所

教育からインフラまで、不条理を解消するための「多角化」

創業時の社員は私ひとり。そこから1年で社員3名、2年で8名と増えていき、10年目の現在は130名を超える規模にまで成長しました。

起業1年目は、就職の斡旋をしていました。ただ、なかなか事業を安定させることができず、2年目からは海外の大学生と日本企業をつなぐインターンシッププログラムを始めました。

最初のプログラムは、モンゴルの大学生32名に、現在の大手温泉リゾート施設で1年間住み込みで研修を受けてもらうというものでした。このプログラムのユニークな点は、発展途上国から来日する学生に対して時給制で給料が出ること。目的は、勉強と仕事の両立支援です。彼らは1年間、日本語や日本の文化、仕事のすすめ方を勉強すると同時に、4年間の学費も貯金できるのです。両親の金銭的負担が非常に軽くなるだけでなく、就職にも今後の生活にも必ずプラスに働くはずだと考えました。

インターンシップがスタート。学生たちと共に成長することを目指して。
慣れない日本での生活も、仲間と支え合うことで笑顔に。

プログラムは現在も続いています。いまでは旅館だけでなく、半導体の会社、町場の技術職、ホテルなど、あらゆる業種で導入いただいています。
特に、海外の理系人材の新卒採用を希望する企業が多いので、お互いを知る「研修」という入り口として非常に有効です。就職後3年以内の定着率は、約99%にものぼります。

笑顔の絶えないディスカッション。役割や国籍の垣根を超えて。

モンゴル人の受け入れにあたっては、私が現地の大学に足を運んで、学長を紹介してもらうことで連携を広げてきました。
多くの学生が日本で研修を受ければ、学校の知名度が上がり、学生も集まりやすくなるはず。だからこそ、私たちがおこなっているプログラムは、学生と親だけでなく、大学側にもメリットがあることを強くアピールするようにしています。
モンゴル以外の国については、当社の社員たちが、母国の大学に働きかけてくれています。最近では、社員のつながりでエジプトの科学技術系大学を訪問することができました。理系人材が圧倒的に不足している日本では、その人材開拓が求められているのです。

当社の社員は、外国人比率が約8割と国際色豊かです。これまでの私の経歴を知って、「ハジメさんなら受け止めてくれそう」と思って入社してくれているのであれば、嬉しく思います。ただ、外国籍社員の割合が高いと、陽気で賑やかな雰囲気になりすぎることが、いい意味での「困りごと」です。日本人社員の中にも、海外に興味を持っていたり、留学経験があったりする人は多くいます。

コロナ禍を機に加速した、生活のすべてを支える事業展開

創業当初から約4年間、当社は人材紹介・人材派遣を中心に、留学生をはじめとする外国人材のアルバイト就業支援を行ってきました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、主要な派遣先であったホテルや観光業界の仕事が激減し、売上は一時、従来の4分の1まで落ち込む事態となりました。
コロナ禍やリーマンショックと同じような困難が今後も起こるはず。そう考え、エリアを分けて新しい営業先を開拓しました。大阪と東京、尼崎に限定していた営業エリアを群馬や京都にも広げました。また、ターゲットは食品関係だけでなく、不動産やIT事業にも。その延長線上で、現在は学校、商社、ビルメンテナンスなど多様な事業を展開しています。

事業は「皆が何をしたいか」「(事業を)安定させるために何が必要か」という視点をもって広げるようにしています。外国人材の方は、家やアルバイト、就職以外にも困りごとをたくさん抱えています。それらをすべて解決することが、私たちの一番の目標です。

創業当初の様子。一人ひとりの「困りごと」に耳を傾けてきた

また、事業の安定化のために、社員がビルメンテナンス事業を提案してくれました。私たちの主な役割は、ビルの清掃に携わる方に向けて仕事を開拓・依頼することです。さらに、事業の開拓を検討している人も募集しています。当社にご依頼いただければ、経験や知識がなくても3年以内で軌道に乗るようにサポートしています。現在は、約15社の事業代行に携わっています。

2023年からは、教育にも注力しています。「日本で一番いい学校をつくる」ことを目標に設立した学校は、今年、尼崎で開校しました。

「5年卒業」で社員のビジョンが明確に

2034年に向けた当社の目標は、グループ会社50社(うち40社は売上1億円の企業)、社長50人、役員50人、事業部長50人、そして売上300億円の会社にすることです。そのために、積極的に新規事業を開拓し、M&Aもおこなっています。

規模の拡大を目指す背景には、身寄りのなかった私を支えてくれた日本へ恩返しをしたいという気持ちがあります。

新卒から5年で経営の視点を持つ人材へ

当社では全社員に「就職後5年で卒業してください」と伝えています。決して無責任な気持ちから言っているわけではありません。
まず3年間は目の前の仕事にしっかり取り組み、残りの2年間で管理職などを経験しながら、将来像を描いてほしいのです。社内で役員やグループ会社の代表になったり、自分の方法で独立したりしてほしい。そうしなければ豊かになれません。
そうは言っても、7〜8割の社員はまだ具体的なプランを持っていません。そういう人のために、当社がどんどん事業をつくっていこうと思っています。そうすれば、新しいプランがなくても、5年後には当社のグループ会社の代表や役員になってもらうことができるからです。通常、10年働き続けても、給料はなかなか倍にはなりません。しかし、年齢を重ねるごとに出費は増えます。そのためには「最低でも5年で社内の部長以上になる」「グループ会社の代表になる」「独立して豊かになる」のいずれかを検討してもらう必要があると思っています。
2034年までに50社をつくることができれば、退職してニュージーランドに留学することが個人的な目標です。

夢を語り、叶える場所。WBPグループオフィスにて。

会社を利用して「豊かさ」を掴み取ってほしい

「5年で卒業してください」と言うのには、もう一つ理由があります。人間は期限を設ければ、やりたいことを逆算して行動に移すことができます。期限がなければ「ゆっくりでもいいか」と思ってしまうかもしれません。
また、期限があれば、目の前の仕事がつらくても「あと〇年だけ頑張ればいい」と思うことができます。そのおかげなのか、社員の定着率はものすごく上がりました。

私は、皆が「幸せ」になるのではなく「豊かになる」ことを追求しています。社内では「(卒業まで)あと〇年しかないけど何するの?」と社員によく問いかけています。主にTikTokに携わっている社員であれば、「TikTokを武器に独立して、当社の取引先も含めて広報をサポートすれば、立派な事業になる」と話しています。選択肢はたくさんあるので、全員が豊かになれるよう、今後も動いていきます。

共に働く仲間たちが5年で豊かになり、自信を持って次のステージへ進むための仕組みを整え、日本一のグローバル企業へと成長すること。これがいまの私の目標です。

「豊かな暮らし」を共に追求する仲間たち

国籍に関係なく、社員たちに大事にしてほしいのは、まずは必ず自分が豊かになること。その上で周りが豊かになるのを手助けしてほしいと思っています。
仕事の目標しか掲げていなければ、少ししんどくなれば心が折れてしまうでしょう。

50%は個人の目標、残りの50%は仕事の目標。両方の目標を立てることで、自立した豊かな暮らしにつながります。目標があれば、人は行動することができます。「好きな車に乗りたい」「タワーマンションに住みたい」など、何でも構いません。常に目標を思い描いておくことで、「そうなりたい」と思えるようになるのです。

目標を描くことは、人生全体のプランを立てることだといえます。私は社員に「会社に利用されるようになれば終わり。必ず会社を利用して、自分の目標を達成してください」と伝えています。会社を利用して、将来のビジョンを考えることが何より大切。ただ、就職活動をする時点では、ほとんどの人が明確な目標を持っていないので、漠然とした将来のビジョンだけでも聞くようにしています。

自社の採用は、全ての事業において、SNSと、口コミ、友達・知り合いの紹介がメインです。派遣事業でも1700人、不動産事業でも年間1000件以上の紹介をいただいています。SNSや紹介のほうが「思い」が伝わるのか、境遇が似た方や我々の経営理念に共感していただける方を集めることができています。採用自体は、素直さや第一印象などを基準にしています。

「子どもたちへの貢献」が、日本への恩返し

当社のミッションは「世界中の人に役に立つ」、ビジョンは「『日本と世界をつなぐ“オンリーワン”パートナー』になって、『日本一のグローバル企業』になること」です。私が思うグローバル企業は、単に外国人材が多い会社ではありません。「多様化(ダイバーシティ)」と「多角化(多角的な事業展開)」を重視する当社が、これらについての取り組みを進めることで、取引先の企業もよりグローバルに事業を展開できるようになると考えています。

今後はブランディングにも注力したいと思っています。実は、広報活動は昨年の10月から始めたばかり。もっと力を入れて「外国人に関すること=WBP」とまで言われるようになることを目指しています。
広報活動とともに、設立予定のグループ会社50社すべての社長が、事業を順調に進めることができるように、様々な基盤をつくっておきたい。
正直に言うと、外国人材業界はグレーな部分が多い。当社が業界全体を透明化し、正しい情報を発信したいと思っています。

2034年に会社を卒業したあとは、「尼崎で『WBP財団』をつくる」という目標も掲げています。現在私が100%持っているWBPの株をすべて財団に寄付し、経済的・家庭的に恵まれない日本の子どもたちに向けた奨学金をつくるのが、次の大きな目標です。

それだけでなく、私が現役で財団に携わっている間に「1,000人の子どもを立派な大人にする」プロジェクトを実行したい。これはWBPグループ全体の目標にもなっています。グループ全体で会社を増やし、その分増えた配当金で毎年数百人に奨学金を出せるようにするのです。

私自身、尼崎の方をはじめ日本で多くの方に助けていただきました。この恩を次の世代に返していきたい。壮大な夢かもしれませんが、それが私なりの日本への恩返しだと思っています。


取材・文 濱中悠花

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