時の運が来るまで我慢する。「売れるもの」と「作りたいもの」両立の流儀


市場が求める「売れるもの」か、自身の哲学を貫く「作りたいもの」か。

モノづくりにおいて、しばしばトレードオフとして語られるこの問いに対して、アウトドアブランド「CHUMS」をアジア全域へと広げてきた土屋芳隆氏の答えはシンプルです。

「もう仕方がないから、両方やる」

ブームは「時の運」。まずはニーズに応え、着実にビジネスを回す。その一方で、自分が本当に作りたいものは手放さず、運が巡ってくるまで我慢する。自らのキャリアを「たまたまの連続」と振り返る土屋氏は、いま新たなブランドにも挑戦しています。

すぐに結果を求めないこと。大切なものを持ち続けること。耳障りのいい成功法則とは少し違う、「我慢」を引き受ける経営のリアルです。


土屋芳隆(つちや・よしたか)

株式会社ランドウェル代表取締役、Chamberfellowsディレクター。証券会社、商社を経て独立し、株式会社ランドウェルを設立。1994年に米国アウトドアブランド「CHUMS」の日本市場導入を開始、リテイナー販売からスタート。その後、CHUMSのアジアにおける商標権を取得し、単なる輸入代理にとどまらず、企画・開発・生産・プロモーションを一貫して担うブランドオーナーへと進化。今日では、「楽しさ」「仲間」「あそびゴコロ」をコンセプトに、ファッションとアウトドアを融合させた独自の世界観を築き、アジア全域での新たな市場創造に挑戦している。

気づいたら“たまたま”売れていた

CHUMSは、アメリカでリバーガイドをしていたマイク・タゲットさんが、約40年前に立ち上げたブランドです。ラフティングをしていると、よくサングラスを落としてしまう。そこで、首にかける紐(ストラップ)を作ったのが始まりです。

そこからアウトドアのアクセサリーブランドとして、キーホルダーや財布を作るようになりました。ブランドコンセプトは、「Fun・Friendly・Quality」。どの商品も、楽しさを大切にしたカラフルなデザインです。

僕はアメリカの大学を出ていて、独立した頃に大学時代の友人からCHUMSを紹介されました。カタログとメガネストラップが送られてきて、「こんなブランドがあるけど、興味ある?」と代理店契約を勧められたんです。僕は子供の頃からYMCAに入っていたり、よくキャンプに行ったりと、アウトドアは好きでした。メガネストラップを見たとき、正直「売れないだろうな」と思ったのですが、「楽しそうなブランドだし、代理店になれるならいいや」と、契約することにしました。

ただ、やっぱりメガネストラップは全然売れない。そこで、同じ紐で携帯電話のストラップを作ってもらったら、数万本単位で売れたんです。当時は携帯電話が普及し始めた頃で、ストラップといえばキャラクターものばかりでした。その市場にオシャレな商品を出せたということで、タイミングが良かったのだと思います。

この経験から、アメリカの商品をそのまま売るのではなく、日本向けに開発しないといけないとわかりました。そうして帽子やカバンを作るようになり、売り上げも徐々に増えていきました。

ただ、一度売れたものも、繰り返しているうちに売れなくなってきます。そこで考えたのが、スウェット素材のバックです。僕が代理店契約をする前から、CHUMSでは「Hurricane Top(ハリケーントップ)」というスウェット地のトレーナーが人気でした。そこで、スウェット素材を使ったバック(Hurricane Day Pack)を作ってみたら、爆発的にヒットしたんです。

当時は、野外での音楽フェスが流行り出した頃で、いま振り返れば、音楽市場とアウトドア市場の融合が始まっていたのだと思います。携帯ストラップにしても、「Hurricane Day Pack」にしても、市場が大きくなるタイミングにうまく乗れた。狙ったわけではありません。気がついたら、たまたま売れていたんです。

買う人にとっての「買う理由」が必要

CHUMSの代理店になってから7年くらいで、日本を含むアジア全域の商標権を買うことができました。それまで、商品開発をするときにはアメリカ本社の了承を得る必要がありましたが、商標を取れば自由に開発できるようになります。

当初は、商品を考えるときにマーケティングは一切していませんでした。というか「市場を見る」という発想自体がなくて、社内で「こういうのはどうかな?」と試行錯誤していました。

基準としては、楽しさ、遊び心、カラフル。すでにCHUMSのコンセプトがあって、市場でのブランド観も出来上がっていた。それを引き継ぎながら、自分の感性を加えて広げていったということだと思います。

ほかのアウトドアブランドを見てみると、例えばTHE NORTH FACE(ノースフェイス)は真っ黒でシンプルなデザインが中心で、ARC’TERYX(アークテリクス)は機能面を押しています。その中でCHUMSは、カジュアルなローテク(普遍的)で、楽しさと遊び心がある。なおかつ、少し価格帯が高いんですね。

当時、CHUMSの商品は量販店での扱いが少なく、こだわりのセレクトショップのようなお店を中心に売られていました。そうした売り方からも、「ちょっとオシャレで、ちょっと高いもの」というブランド観がありました。

世の中のブランドを見ると、「自分たちはこういうものを作るんだ」という芯の感じられるものが残っています。それが「あのブランドはこういうイメージだよな」というように、買う人にとっての「買う理由」になる。「海外ブランドのライセンスを買って、とにかく安く売る」というやり方では、たまたま売れることはあっても長続きしないのだと思います。

もちろん、市場の大きな流れを外してはダメです。例えば、いま「わらじを10万足売りたい」と言っても無理ですよね。トレンドには逆らわずにいながら、「ブームは時の運」と考える。

当然、僕が作りたいと思っているものが市場のニーズとずれていることもあります。自分たちのブランド観を世の中に浸透させながら、ブームに乗るときもあれば外れるときもあると考えて、“どん”と構えている。ビジネスとしてお金が回っていることが前提ですが、時の運が来るまで我慢することが大事だと思います。

人生を振り返ってみても“たまたま”が多い

僕は大学浪人をして、その後に入った大学もすぐにやめて、それからアメリカの大学に行きました。「自分のやりたいことを探す」みたいなことでもなくて、単なる怠け者だったんです。浪人生なのに勉強しないし、せっかく入った大学も「こんな三流大学、俺の通うところじゃない」と、1週間くらいしか通いませんでした。

でも、「このままではまずいな」とは思っていたんです。「三流大学」と馬鹿にしながら、そこを出ることもできない。この状態をリセットするには、アメリカの大学にでも行くしかないと考えました。

大学を出て最初に働いたのは証券会社です。興味があったわけではなく、カッコよさそうだったから入ってみた。すると営業部に配属されて、1日100件の飛び込みです。机の上に3000枚の名刺が置かれて、「これをひと月で使うんだぞ」と言われるような仕事でした。

どうにか1年間続けましたが、これ以上は無理だなと。そうして電子部品を扱う小さな商社に転職しました。クライアントは海外メーカーが中心で、業界の知識もない僕は通訳や案内係しかできない。そうこうしているうちに30歳も過ぎて、そろそろ独立しようと会社を作りました。

僕の祖父は下町で伸銅所を営んでいて、父もそこで働いていました。子供の頃から「自分でビジネスをするのが当たり前」という感覚で育ち、起業は当然のことでした。といっても、「独立したい」という想いだけで、具体的に何をやるかは決めていません。やることがないから、毎日部屋でぼーっとしたり、ひとりでブラブラしたりしていました。本当に。

すると親が心配して、あるスクールを勧めてくれました。泊まり込みの「経営者教室」のようなもので、そこで「企業理念を作る」という課題を出されたんです。

僕は社会人経験も浅く、専門的な知識や技術もない。武器にできるものがない中では、「文化」という抽象度の高い領域を中心に置くしかない、と考えました。

では、どんな文化に紐づく仕事をするのか。「自分は何が好きなんだろう」と考えると、建築や料理、ファッションといった「生活」に関連することだなと気づきました。そうしてひねり出したのが、「生活活性化事業会社」という言葉です。「楽しく、感動を呼ぶ独自の商品・サービスを創造し、魅力的で活力ある社会作りに貢献する」という理念が固まりました。

会社も作り、理念もできた。そこからやっと「さあ何をしよう」と考えるようになって、いろいろな友達に「何でもやるから」と言い回りました。そうしてCHUMSと出会ったんです。こんな感じで、人生を振り返ってみても“たまたま”が多い。自慢できるようなことはあまりないんです。

神域へ続く「表参道」に並ぶ海外ブランド

これまで30年以上、ずっとCHUMSを続けてきました。ただ、その中で少し葛藤を感じるようになりました。CHUMSで売れているアイテムが、必ずしも自分が欲しいものではないんですね。

僕はアウトドアが好きですし、CHUMSが大事にしている楽しさや仲間、遊び心は、人間が生きていく上ですごく重要だと思います。CHUMSは素晴らしいブランドで、これからも続けていく。けれど、自分が着るようなものも作ってみたい。絵を描く、小説を書くというような感覚で、自分の生き様をブランドに映し出してみたい。社員には迷惑な話でしょうが、現在64歳ですし、そろそろやってもいいだろうと思ってしまったんです。

そうして2025年11月に、Chamberfellows(チャンバーフェローズ)というブランドを立ち上げました。コンセプトは“粋-IKI”です。

イタリアやフランスに行くと、綺麗な街並みの中に長年の文化が自然に引き継がれているように感じます。日本の場合、明治維新と戦後に「西洋を追い越せ」といった価値観が生まれて、歴史が分断されている。突然西洋化して、着物は着なくなったし、かな使いも変わってしまいました。

街を歩けば、カフェでもアパレルでも「パリから日本に初上陸」というようなものが多い。表参道には外国のブランドばかり並んでいます。「もう少し自然に、日本の文化を味わえるようにならないか」と、ずっともやもやしていました。

世界で有名になった日本のブランド、例えばコム・デ・ギャルソンやYohji Yamamotoは、「俺はこういうものが好きだ」を貫き通したんだと思います。忍者のように真っ黒な服や、一枚の布を立体的に織り込む発想が、結果的に欧米の人の目に新鮮に映った。そこから世界的に広がっていったのでしょう。

Chamberfellowsのアイテムには、「過去からの流れを見つめながら、現在を捉え、それを将来に活かす」という思いを込めています。スーツやカジュアルがメインですが、2026年には浴衣も売り始めます。まさに、僕の葛藤を表現したようなお店になるんです。

「売れるもの」も「作りたいもの」も両方やる

Chamberfellowsの“粋”というコンセプトは、九鬼周造さんの『「いき」の構造』(岩波文庫)という作品から拝借しました。

粋というのは、「媚態(びたい)」「意気地(いきじ)」「諦め(あきらめ)」の3つの要素から成り立ちます。「媚態」は媚びるという意味。「意気地」は何事かを最後までやり遂げること。そして、どうしようもないことは、すっぱり「諦めて」次に進む。九鬼周造さんは、その3つが重なった生き方を“粋”だと言っているんですね。

ビジネスにこうした哲学的な思考を組み入れるのが、いいことなのか悪いことなのか、いまもわかりません。哲学的な思想は、当面の商売には邪魔なんです。哲学は、世の中でいわれていることを疑うところから始まる。ビジネスでそんなことを言っていたら、売れるものがなくなってしまいますよね。

売れるものも作らなければいけないし、作りたいものも作りたい。もう仕方がないので、両方やるしかありません。

売れるものを作るという方向では、ある程度判断ができます。バイヤーさんは「いま売れるもの」に敏感です。「かっこいいのはこのブランド、機能的なのはこのブランド、CHUMSはこうしてください」というように、求めているものがあります。その意見に乗って一緒に商品開発するのでも、まったく問題はありません。そこにCHUMSのエッセンスが入っていればいいのだと思います。

粋の中には、「媚態」があります。時にはお客様に「あなたが好きなものを作ります」と媚びることも必要です。それに、生きていく上では「諦め」も必要です。自分の理念に凝り固まると、周りも不幸になってしまう。それらを忘れないようにしながら作りたいものを作っていくことが、私の「意気地」です。

売れるものをしっかり作りながら、作りたいものは恥ずかしそうに、少しずつ出していきます。作りたくて作るものは、極端な話、売れなくてもいい。最後はそう思うしかありません。会社が潰れない程度にビジネスを回しつつ、我慢を続ける。そうすれば、またどこかで時の運が巡ってくるんだと思います。

取材・文・編集:久保木勇耶(クロスメディア・パブリッシング)

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