「音楽は世の中を映す鏡」と言われ、ヒット曲は社会状況や人々の願望、時代のニーズを教えてくれます。時代の流れと共に変化し続ける音楽業界で、1980年代、1990年代に数々のヒット曲を生み出し、今も愛され続けている作詞家がいます。
売野雅勇氏は、80年代の音楽業界へ彗星のごとく現れ、90年代のシティ・ポップを牽引しました。特に、彼が手がけた中森明菜さんのセカンドシングル『少女A』の歌詞は、時代のトレンドにとらわれないどころか、真っ向から対立するような斬新な切り口で表現され、歌謡曲のイメージを覆しました。その影響は楽曲そのもの、アーティスト、聞き手、そして社会全体に広がり、今もなお人々を魅了し、多くのアーティストに歌い続けられています。
日本の音楽スタイルを変えた巨匠、売野氏は「自分らしさを表現することが、世の中にとって思いも寄らない価値を生むことがある」と語ります。音楽業界の最先端で社会に影響を与え続けたその背景には、独自の視点で見出した言葉へのこだわりがありました。

売野雅勇(うりの・まさお)
上智大学文学部英文科卒業。コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年、ラッツ&スター「星屑のダンス・ホール」などを書き作詞家として活動を始める。1982年、中森明菜の「少女A」のヒットにより作詞活動に専念。以降チェッカーズを始め近藤真彦、河合奈保子、シブがき隊など数多くの作品により80年代アイドルブームの一翼を担う。90年代からは坂本龍一、矢沢永吉からゲイシャガールズ、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。郷ひろみ「2億4千万の瞳」、ラッツ&スター「め組の人」チェッカーズ「涙のリクエスト」、稲垣潤一「夏のクラクション」、荻野目洋子「六本木純情派」、矢沢永吉「SOMEBODY’S NIGHT」、GEISHA GIRLS「少年」、中谷美紀「砂の果実」などヒット曲多数。また1990年以降映画・演劇にも活動の場を広げ、脚本監督作品には『シンデレラ・エクスプレス』『BODY EXOTICA』。脚本プロデュース作品の舞台には『ミッシング・ピース』(市川右近演出・千住明音楽)『天国より野蛮』(市川右近・宝生舞主演)『優雅な秘密』(市川右近・市川春猿主演)『美貌の青空』(市川右近・市川春猿・市川段治郎主演)『下町日和』(市川右近・市川春猿・市川段治郎主演)『虎島キンゴロウ・ショー/魅惑の夜』(虎島キンゴロウ・市川右近・金子國義主演)など。著書に『砂の果実: 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』(河出文庫)がある。
人生の判断基準は「かっこいいこと」

僕は子供のころから、夢を見ることや何かに憧れることが好きでした。今も「憧れ」という気持ちをとても大切にしています。
僕にとっての憧れとは「かっこいいこと」です。流行していることがかっこいいと感じるわけではありません。周りからの誘いがあっても、どんなにお金を約束されても、少しでも憧れを抱けないことは絶対にしてきませんでした。僕の人生の中で何か選択をしなければならないときの判断基準は、「かっこいいこと」。かっこよさがともかく一番重要なんです。
ただ、僕が作詞家になった理由は、憧れからではありません。学生時代に体育会系の部活で鍛えられていた僕にとって、当時流行していた歌謡曲に描かれる恋愛模様は線の細い鉛筆画のようで、もっと心を激しく揺さぶるもの、油絵みたいな太い輪郭があればいいのにと、流れてくる音楽を「かっこ悪いもの」として見ていました。自分が将来、作詞家になるなどとまったく想像もしていませんでした。
そんな僕が、なぜ昭和を象徴する黄金のアイドル・ブームの中で作詞をすることになったのか。まずはその経緯からお話します。

大学卒業後、僕が選んだ仕事はコピーライターでした。最初は、広告代理店で、新聞や雑誌に載せる広告コピーからCMまで幅広く商品のコピーを書いていました。やがてフリーのコピーライターとして活動を始めると、レコード会社をクライアントに持つ代理店からの仕事が増え、CDの帯などにあるアーティストのキャッチフレーズや音楽誌に掲載する広告のコピーを書くようになりました。
ちょうどそのころ、コピーライターの糸井重里さんが作詞をした沢田研二さんの『TOKIO』という曲がヒットし、そのあたりから時代の潮目が変わり始めます。コピーライターは面白い歌詞を書ける人たちだという認識(あるいは誤解)が広がり、生存競争が苛烈な音楽業界はコピーライターに救いを求めるように作詞を依頼することが一種のトレンドになりました。
依頼されるのは名の売れた一流コピーライターばかりで、僕はほとんど三流くらいでしたから声がかかるはずもありません。しかし、運命は面白いもので、僕が書いたシャネルズ(後のラッツ&スター)の新聞広告のヘッドライン(コピー)が担当ディレクターの目に留まり、無名のコピーライターだった僕にも作詞の依頼が来ました。こうして、運命に導かれるまま、シャネルズの曲『星くずのダンス・ホール』の歌詞を書くことになったのです。
作詞家という仕事に憧れを全く感じたことのなかった僕が、歌詞も書けるかもしれないと不意に思えた、忘れてしまうほど遠い理由の一つに、ボブ・ディランの影響があったかもしれません。今になって人生を振り返ってみると、そう思います。ボブ・ディランの歌は1960年代の音楽の世界に新しいスタイルや価値観の始まりを予感させました。彼は、最高にかっこいい音楽家であり詩人です。彼の「言葉を尊敬し、言葉の力を信じる精神」が僕の想い描くかっこいい詩人の姿とフィットしているように感じました。ディランのように言葉を信奉し偏愛する、そういうフェティッシュな作詞家になりたいという憧れが湧いてきていたのだと思います。
全く同じ価値観を持つ人間は誰一人として存在しない

僕が作詞家として駆け出しのころは、シャネルズ(ラッツ&スター)、伊藤銀次、河合夕子、ザ・ワイルドワンズ、クリスタル・キング、井上大輔など、歌謡曲というよりニューミュージックよりのアーティストの歌詞を書いていました。50曲か60曲くらいは書いていたかもしれません。
そんなあるとき、新人アイドルのアルバム収録曲の作品を書いてほしいという依頼が来たんです。最初にお話ししたように僕は歌謡曲にかっこよさを感じることができずにいたので、できれば避けたいと思っていました。でも、このあたりから作詞がいちばん自分に向いていると感じ始めていたんですね。作詞はそれくらい楽しい仕事でした。それで、ある作曲家のマネージャーから「プロの作詞家としてやっていきたいのなら、アイドルも書けないとダメですよ」と言われ、そうかここで勝負しなくちゃいけないのか、ここからが本番なんだなと気合を入れ直し歌詞を書くことにしました。
どんな歌詞にしようか悩んでいたとき、『少女A』というタイトルがふと浮かびました。『少女A』というタイトルなら、これまでの歌謡曲にあるような渚でデートをしたり、カフェでソーダ水を飲んだりといった、恥ずかしいシチュエーションや単語は、歌詞からあらかじめ排除されるという計算もあったのだと思います。『少女A』というタイトルは聴く側にとっては衝撃で戦略的なタイトルですが、書く側にとっては強力な拘束です。僕は自分に縛りをかけることで、歌謡曲を書くのではなく『少女A』という“エレガント“な歌謡曲の世界を描くと心に決めて書き上げました。
僕は当時、中森明菜さんというアイドルを知りませんでしたし、この曲をヒットさせようという考えも全くありませんでした。ですが、アルバム用の1曲だった『少女A』はプロデューサーたちの目に留まり、シングルとして発売されて大ヒットしました。中森明菜さんは、『少女A』という曲を歌う中で、「アイドルは純粋で、皆に愛らしく笑顔を振りまく存在」という当時の固定概念を壊し、歌詞に描いた通りの、男性にものおじせずに「じれったい!」と涼しい顔で言い放つ、不良の匂いがする魅力的で傷つきやすい女性を見事に表現したのです。
この曲のヒットがきっかけとなり、中森明菜さんは80年代を代表する歌手への第一歩を踏み出し、僕も作詞家として本格的な活動をスタートさせることになりました。
自分の人生を振り返ると、計画より運に導かれる「あみだ人生」という言葉が思い浮かびます。まるであみだクジのように、運命に導かれ流されて、思ってもいなかったところへたどり着く人生です。でも、ただ流されただけではなく、岐路に立つと本能の命じるまま正しい選択をしてきた気がします。
曲がり角で悪魔がささやいているのか天使の声がしているのか、私たちにはどちらの声か分かりません。天使の声を聞き分けるのは損得勘定のない「純粋な目」「混じり気のない本能」だと信じています。「かっこいいこと」の気配がする方向に向かって歩いてきたつもりではいますが、それを選べたのは自分を超えた存在のお陰だと思います。目先の利益に走りそうになる自分も必ずいたはずですし、ズルをしたいと思う自分もいたはずです。ただ、その誘惑には負けなかった。それより「カッコよくやれよ」とささやく本能の声の方が強かったのだと思います。その結果として、『少女A』のような新しい歌謡曲のスタイルが生まれ、その後もヒット曲を生み出し続けることができたのだと感じています。
人は生まれたとき、みんな空っぽの箱を持っていて、育つ過程で体験するいろんなものをその箱に入れ、自分という人間を創り上げていきます。まさしくブラックボックスですね。箱の中に何を入れていくかで、その人独自の価値観がつくられ、その集積として個性がつくられます。全く同じ価値観を持つ人間は誰一人として存在しません。自分の価値観を表現することが、自分以外の誰かにとっては思いも寄らない価値になることがあります。
世の中に新しいスタイルが生まれる瞬間というのは、自分らしさを信じ続けた誰かが、その個性を表現したときなのかもしれません。
最初の2行が最高のクライマックスを生む

コピーライターや作詞家という仕事は、特別なセンスや発想が必要というイメージを持たれることが多いですが、実際は世の中にある言葉を組み合わせるだけなので、出来の良し悪しは別にして誰にでもできる仕事なんです。ただ、自分が経験していないことや知らないことは言葉として表現することはできません。だから僕は、映画や読書、芝居、旅行、そして日常生活といった日々の体験を大切にしています。見て感じて、身体に染み付き、血や肉となった記憶を時間をかけ発酵させて言葉にするのだと思います。
例えば、中森明菜さんの『禁区』という曲のタイトルは、中国の大きな体育館で見た、壁いっぱいに赤いペンキで書かれた「禁」と「区」という巨大な2文字を見たときのショックが、不意に記憶からよみがえり頭に浮かんだものです。「禁区」は中国語で「立ち入り禁止」という意味です。僕が実際に中国に行って赤いペンキの文字に何も感じなかったら、『禁区』というタイトルの曲は存在しなかったはずです。
商品のコピーや曲のタイトルは、目にした人の興味を惹きつけることが最重要タスクです。先ほどの『禁区』というタイトルを例にとれば、「立ち入り禁止」という日常で誰もが日々目にする言葉をタイトルにするより「禁区」と表現する方が、インパクトもあり、不穏なムードさえ醸し出します。「このタイトルにはどんな意味があるのか」「どんな曲なのか」といった想像を掻き立て、目にした人の興味を惹きます。
コピーライターと作詞家の仕事の大きな違いは、売り込む商品があるかどうかです。
コピーライターの仕事は、「すでに存在する何かを売る」ということが大前提です。誰かが創った商品の世界観を、決められた枠の中で言語化します。例えばコーヒーのコピーを書く場合、コーヒーを買ってもらうために「おいしい」「香りが良い」「目が覚める」などの魅力やメリットを「コーヒー」という決められた枠の中で表現します。音楽の広告コピーでは、「この曲を聞いている自分は素敵だ」「気分が良くなる」「一生費やしたいほどの快感がある」など、より抽象的なメリットを伝える必要があるので広い表現が求められますが、それでもアーティストや楽曲という枠があります。
作詞家の仕事では、「誰かが創った商品」という枠がなくなり、自由な表現ができるようになります。何もない宇宙の中に放り出され、1から自分の世界を創るというイメージです。なので、作詞にとりかかる前に、枠を決める必要があります。それがタイトルです。タイトルが決まると、どんな世界になるのかが、ほぼ決まります。これが、僕がタイトルに徹底的にこだわる理由のひとつです。
次に、詞で楽曲の世界観を五感に訴えかけるように表現していきます。歌い出しは映画のファーストシーンと似ています。魅力的なファーストシーンは「おもしろいに違いない」という期待をあおり、観客を作品の世界へと引き込みます。
映画では、ファーストシーンで全体のムードや雰囲気、質感を提示します。テーマに合った場所も映されるでしょうし、誰の目線からの物語かという“主役”を入れこんだ構成になります。歌詞を書くときも映画のストーリーを創るように、最初の2行でどれだけ観客を惹きつけられるかを考えるのが普通です。最初の2行が命ですから、これが書けないと作者自身も続くストーリーを考えつかないのです。当然、最大のクライマックスであるサビも書けません。時には例外もありますが、僕はだいたいこのスタイルが好みです。
どんな言葉から物語を始めるか、具体的に言うと、そこで使われるべき言葉/単語を探す作業の熱量いかんで歌詞だけでなく、メロディを含めた楽曲全体の運命が決まります。ですから、たいていの作詞家は命がけで最初の2行を生み出す努力をします。歌を聴いたとき、数個の言葉の組み合わせで不意に見えてくる風景や光景が、普遍的で、しかも個人的にさえ感じられる。そういう2行を書きたいのです。
人に美しい景色を見せ、感情を与える「言葉」

僕は幼いころから言葉が好きでした。特に落語はよく聞いていました。大学は文学部に進学し、社会に出てからはコピーライター、ファッション誌の副編集長を経験して、作詞家になりました。ずっと言葉に関わりながら生きてきました。そうした中で、現在聞こえてくる言葉について感じることが2つあります。
1つ目は、過度に謙虚さを強調することが世の中の風潮になっているということです。不要に多用される遠回しな表現が本当に伝えたい言葉を隠してしまい、言わなくていいことをたくさん言って、言うべきことを言わずにはぐらかすのは、健全なコミュニケーションを阻害していると感じます。ひとことで言うと、聞き苦しい話し言葉をわざわざ使って私たちは話しています。言葉に対する感受性が薄く、鈍くなる道を邁進しているようにも見えます。
2つ目は、世の中で、嘘や偽りが目立っているということです。人は、モザイク画を描くように自分の記憶の小片を組み合わせることで、簡単に嘘をつくれます。例えば、寝坊してデートの待ち合わせに遅刻したときに、「デパートに立ち寄ったら、たまたま友達に会って、お茶していたら話が盛り上がっちゃったの」と簡単に嘘をつけます。さらに、一つ嘘が出てくると、その後も嘘のストーリーが続きます。「ウェイターがコーヒーをこぼして、友達のスカートにシミができちゃって……」などです。
僕がこれまで書いてきた1000以上の歌詞も、すべて自分自身が体験した真実のストーリーを書いているわけではありません。ほとんどがフィクションです。

僕は、中谷美紀さんが歌った『MIND CIRCUS』という曲に「偽りだらけのこの世界で愛をまだ信じてる」という歌詞を書きました。この世界は嘘ばかりが目立って見えます。一方で、犯罪的な100パーセント“純粋”に邪悪な嘘は、確かにこの世に存在するかもしれないが最終的には滅びるだろうと感じます。『MIND CIRCUS』は、誰でもみんな心の中心には愛や優しさを持っていると世界に向かって叫んでいる少女の物語です。この偽りだらけの世界で、傷つきながら絶望しながら、闘っている少年のへのエールという形を借りたメッセージ・ソングです。「少年らしさは傷口だけど君のKnife」とは、そういうことです。
言葉は「光」です。真っ暗闇の中で光がないと何も見ることができないように、私たちの世界は言葉からできています。言葉がないと何にも分からないし伝わりません。第一、言葉なしにどうやって考えるのでしょう。言葉がないと考えることもできません。例えば、美しい木々が並ぶ庭で、鳥が時々鳴いていて、昼下がりに風が流れていくのを感じ「ああ、気持ちがいいな」と思う。言葉は私たちにあらゆる景色を見せ、感情を与え、世界を輝かせているんです。
編集・取材・文:渡部 恭子(クロスメディア・パブリッシング)