1992年、四畳半一間から起業した株式会社インターアクション。2001年、東証マザーズ上場を皮切りに、東証第二部、一部へ上場。そして2022年、プライム市場へ。代表取締役社長の木地伸雄氏は、創業者であり、実の父である木地英雄氏から事業を受け継ぎ、クライアントファーストを原点として経営を進めています。多くの困難を乗り越えて、企業成長をしてきた同社。そこには何があったのか。歴史を紐解きながら、企業にとって何が重要なのかを探ります。
木地 伸雄 (きじ・のぶお)
株式会社インターアクション代表取締役社長。
神奈川県葉山町出身。2008年6月、同社取締役就任。当時、債務超過で上場廃止寸前だった同社を立て直した。不採算事業からの撤退、熊本工場閉鎖など事業リストラクチャリングや既存事業の進化成長と海外子会社の立ち上げ、M&A、そして新規事業創出など数々の事業を手掛ける。2013年6月、同社専務取締役就任、2017年3月には東証一部上場。同年8月、同社代表取締役副社長に就任。2019年、営業利益約20億円という同社過去最高の売上利益を達成。2020年には株価3,200円同社過去最高株価を更新した。同年6月同社代表取締役社長就任。2022年に東証プライム市場へ上場市場変更。現在も更なる成長へ向け、挑戦し続けている。同氏の実父である同社会長、木地英雄氏の著書に『四畳半から東証一部上場へ』(クロスメディア・パブリッシング)がある。
見えないものを見せて、できないことをできるようにするモノづくり
── 御社の事業内容について教えていただけますか。
木地 我々は、半導体イメージセンサ検査をするための光源装置を作っています。その事業から売り上げの約6割、利益の約8割が出ています。その他にも様々な事業を展開していますが、我々の事業のコンセプトというのは、「見えないものを見せて、できないことをできるようにする」ということです。我々は、光やセンサーの技術をもっているので、見えないものを見せることができます。そして、AIや先進技術を使い、今までできなかったことをできるようにします。そうすることで、顧客の生産性を上げていくことが可能になります。
── 御社のHPに掲載されている、創業の原点「世の中に必要とされれば生き残る。必要とされなければ淘汰される」に込められた想いについて教えていただけますか。
木地 自分中心に考えてしまうと、ビジネスのアイディアは出てきません。「クライアントファースト」という顧客や社会の視座になって初めて、ビジネスのアイディアが出てくるんです。創業の原点の言葉には、自分が中心の思想ではなく、顧客や社会の視座で考えることが大事だという想いが込められています。
世の中の役に立たないと、結果的に対価をもらえない。これは道理です。我々は社会の役に立つ会社でありたいという強い決意を持っています。
上場までの道のりは地獄の道のり、暗いトンネル
── 御社は四畳半一間から起業、そしてマザーズ、東証一部へ上場され、現在はプライム市場にいらっしゃいます。今までの道のりをどう感じてきましたか。
木地 これまでの道のりを一言で言うと、正直地獄…の道だったと思っています。苦労と自己反省の日々でした。
私は2006年にインターアクションに入社したのですが、2007年になって父が当社を離れるという話が出てきました。同時に、私も父と一緒に当社を出ることにしたんです。
しかし、私たちが会社を離れた後、ずっと赤字が続いていたこともあり、父と私は2008年に当社に戻ってきました。ここからが大変でした。会社には、表面上は見えていない不良資産がたくさんあり、これをまず整理する必要がありました。売り上げはかなり下がってしまっていて、赤字続きです。結果的に2009年は単年で10億ぐらいの損失が出てしまっていました。株価も10分の1になり、最悪のときは100円近辺まで下がりました。そのままでは上場廃止の可能性もありました。
── 本当に大変な状況だったんですね。イメージセンサ事業もまだ伸びていなかったと。
木地 私が会社に戻ってきて初めての仕事は、熊本にあった工場の事業所を閉鎖することでした。大学を卒業してまだ二年しか経っていない私が、社員さん1人1人と話して、仕事を辞めてもらう交渉をしたんです。
その時の当社は仕事もなく、売上もない。どうやってこの暗いトンネルのような状況を抜けるのか、全く見通しが付きませんでした。今の主力事業であるイメージセンサ事業を開始していましたが、当時市場の中心にあったのはデジタルカメラで、イメージセンサは使われません。積極的な設備投資はしておらず、当然売り上げにつながっていませんでした。
他の事業も、失敗続きでした。当社の親会社の方々に、「どこまで自分たちの足を引っ張るのか」と言われてしまったこともあります。
人の役に立とうとすれば、できないこともできる
── 大変な時期を抜けることができたのは、スマートフォンにカメラが搭載され、イメージセンサの売り上げが伸びてからですか?
木地 それも大きなブレークスルーの一つですが、いろいろな事業に挑戦するなかで、太陽光発電システムがヒットしたことが事業拡大のきっかけでした。
当時日本と中国では太陽光発電システムのバブルでした。私は中国に渡り、まだ広がっていなかった太陽光発電パネル計測システムを販売するため子会社の立ち上げに取り組みました。現地では言葉もわからず、手探りの状態でしたが、人の役に立とうと考えるとその大変さも乗り越えることができました。ビジネスは、人の役に立とうとして初めて成り立ちます。自分のやりたいことのために、何かを利用してやろうと思っている限りは、ビジネスは絶対にうまく行きません。
中国の事業の立ち上げが終わると、次は業績を安定させるためにM&Aを行いました。そして利益率は低いままでしたが、徐々に売上利益が上がってきたんです。さらに、2014年ぐらいからイメージセンサがスマートフォンの普及と共に成長期を迎えて、そこから収益が良くなっていきました。
未来に対して備え、努力で運を引き寄せる
もうひとつ、大きな転換のきっかけがありました。
2010年、タイで洪水が起こり、いろいろな企業の工場で、データ装置設備が流されてしまったんです。その復旧のため、当社に多くの注文が当社に入りました。そのとき、当社の資金はあと一カ月ほどしかないという危機的な状況でした。不謹慎な言い方になってしまいますが、この出来事があったことで、倒産を紙一重で逃れることができたんです。
スタンフォード大学の心理学の教授であるジョン・クランボルツ氏の研究で、キャリアを決める8割は「運」、残りの2割は努力であると聞いたことがあります。人の縁や入った会社、外部環境など、そこで8割キャリアは決まってしまうというものです。
もし、アップル社がiPhoneにカメラを搭載していなければ、我々の会社は今の状況になっていなかったでしょう。いかに運を惹きつけるか。そのためには信念をもって、全力で努力をしていかなければならないと思います。
最高の結果を残すことが、一番の恩返し
── お父様である会長が倒れられたとき、どんな想いをもっていらっしゃいましたか。
木地 今まで健康だと自身で確信していた父は、倒れてしまったことでその確信が折られてしまっていました。そのときの父の意気消沈具合を思い出すと、なんとも言えません。「もう辞めたい」と言葉にするほどでした。
ただ、私はその言葉を聞いても、父が社長でいる限り、私から社長をやりたいと言うことはないと決めていました。育ててもらったことや、ここまでチャンスをくれたことへの恩に、父がいる限り報いていく考えがあったからです。それは「社長になる」ということではありませんでした。会社は大変な状況にあり、父が倒れてしまったときだからこそ、自分がすべてにおいて最高の結果を残そうと思いました。「一番の恩返し」をするという気持ちが強かったと思います。
── そこから2014年の東証二部上場、2017年の東証一部上場へと至ったのですね。
木地 東証二部から東証一部へ上場するには、東証の審査があります。審査員によると、当社は同族経営なので、経営の牽制が効かないのではないかという懸念を持っていたようです。大切だったのは、審査員が「なぜ」そう言っているのかを理解することでした。理解することで適切な対応をすることができました。丁寧さをもって審査員に対応することで、信頼をしていただいたと思います。最終的には「同族でも大丈夫です」と言っていただき、東証1部上場をクリアしました。
なぜそう言っているのかを理解すれば、こちらの説得力も増します。それは誰に対してでも同じです。なぜそうなっているのかという物事の背景や、相手の考えを理解するということはビジネスの基本だと思っています。
── 2022年6月に、御社は市場区分替えでプライム上場をされました。それからいままでの期間、どのように企業成長をされてきましたか。
木地 この期間、私が思った以上の成長を実現できていないと感じています。これからより成長していくためには、私自身も含め、リーダーの変革から始めていきたいと思っています。また、社員教育も重要です。人を根本として、人を目的とする経営は、社内での教育に尽きると思います。そのために当社オリジナルの教育システムを作り、社員教育をしていこうと考えています。当社には社内カリキュラムがあり、それをベースにして社内で作ったシステムです。
我々は継続的に成長していかなければなりません。だからこそ、すでにある「インターアクションという会社は、光源装置や瞳モジュールのメーカー」という固定観念の打破に挑戦していきたいと思っています。
株主様の期待以上のバリュエーションを高めるために、既存事業の収益を超える新しい事業を立ち上げていくことが肝心です。半導体の市場と産業の次世代工場の市場、この二つの市場で、我々ができる領域を探して、可能性を追求しつつビジネスを進めていきます。
企業成長が、未来をつくる
── 御社の経営理念には「当社のグループ従業員の能力・才能・努力を社会に大きく開き、クライアントとともに新たな価値を創造する」とあります。どういったお考えをお持ちでしょうか。
木地 実は当社のホームページに掲載されている経営理念と、実際に社員に伝えている経営理念が少し違ったものになってきているんです。コンセプトは一緒なんですが、今は「見えないものを見せて、できないことをできるようにする。そして社会、顧客、社員1人1人の可能性を開拓する」ということを言い続けています。
日本の会社はこれまで、人は「資産」だと言ってきました。換金可能な財産であるということです。それが今、「人的資本」という言葉が生まれています。資本とは会社の運営の元になるお金を指します。
しかし私は、人という存在は、お金としての資本とイコールではなく、「目的」だと思っています。人を目的として、根本とする経営をしていきたい。だから、従来のような人を手段とする経営には「No」と言いたいんです。
人と会社が成長し、次世代の未来へつながっていくことが理想的な経営だと思います。企業は、成長をしていかなければならない。経済を成長させることが、今の社会人の責務なんです。
本当に人が力を発揮するのは、情熱をもって行動できるときなんだと思います。企業も一緒で、優秀なエンジニアを集めるだけでは、大きなことはできません。何のために仕事をしているのかを、常に1人1人が考える。そしてリーダーは情熱をもって「なぜやるのか」を徹底的に説明することがとても重要だと思っています。
経営者にとって一番の重要指標は株価
── 「四畳半から始まった企業が、上場を果たす」というストーリーは、とても印象的に感じました。「上場」にはどんな価値があると思われますか?
木地 とても難しい質問ですね。まず、資本市場は何のためにあるのかということだと思います。資本市場は、企業の設備投資や運転資金などといった企業資本の売買が行われるものです。効率的に資金を配分する市場なので、それが大きくなればなるほど、世の中にある資本がスケールします。上場するということはコストがかかりますが、その資本市場に貢献できる大きなチャンスの一つだと思います。
資本市場の代表的なものに、株式市場があります。株式市場で経営が重要視するのは株価です。その株式市場に対して我々が貢献するということは、社会の経済に対して責任が増えているということです。
何より、上場は社員のモチベーションになります。当社は社員数120名程度と、少数精鋭で仕事をしており小さな会社だと思います。プライム市場に上場していることは、社員の方々にとっても誇りになっていると思います。
── 次世代に対して御社はどうやって貢献していきたいとお考えですか。
木地 良い経営をして我々の企業が成長することで、次世代のための良い社会を作っていくということです。
企業は大義名分を掲げないと良い企業にはなれないと思います。そしてそれは自分中心で考える「エゴイスト」であってはいけません。
英語で「Ambition」と「Aspiration」という言葉があります。同じ「野望」という意味ですが、Ambitionは、権力やお金が欲しい、財産を築きたいというように、自分が中心なんです。
一方で、Aspirationは、誰かに何かを与えたいからこれを実現したいといった、他者のためにという目的があります。Aspirationを経営の中心に置かない限り、良い経営は絶対にできません。社員さんも仕事に対して燃えませんし、会社を信頼してくれないんです。
「誰かのために何かをする」というような、高い倫理性は経営の基本だと思っています。例えば、経済成長をすることで、次世代のために選択肢を増やすことができます。企業を成長させる理由はそこにつながるんです。
70の法則というのがあります。35年間、GDPが2%で成長しつづければ、GDPは今の倍になるんです。次世代の子たちのために我々は、より選択肢の多い社会を実現できるはずなんですよね。経済は人間の幸福に役立ってこその経済です。会社もそういう姿勢で事業活動をしていくことで、初めて芯が通って、良い経営ができます。我々は次世代に対しても貢献し続けられる経営と成長をしていきたいと思います。