「戦う経営者の力になりたい」――長くその理念を体現してきた、ソウルドアウト創業者の荻原猛氏。2023年3月に経営を退き、4月から新たなサーチファンド会社を設立しました。中小企業の支援にこだわり続けてきた荻原氏の新会社ロケットスターも、「中小企業から日本を元気にしたい」という理念をベースに作られています。中小企業の支援に特化した取り組みを続ける先に見ているものは何なのか、お話を伺いました。
前編では、荻原氏が中小企業に特化した支援を続けている理由、その体現の先にある新しいチャレンジについてお聞きしています。
荻原猛(おぎわら・たけし)
株式会社ロケットスター代表取締役社長
國學院大學卒業後、起業するも失敗。インターネットの魅力に気付き、2000年に株式会社オプトに入社。2006年に広告部門の執行役員に就任。2009年にソウルドアウト株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2017年7月に東証マザーズ上場、2019年3月に東証一部上場。2022年3月に博報堂DYホールディングスによるTOBにて100%子会社化。博報堂グループにて1年間のPMIを経てソウルドアウト取締役を退任。2023年4月に株式会社ロケットスターを設立し、代表取締役社長に就任。50歳で3度目の起業となる。
株式会社ロケットスター:https://rocketstar.co.jp/
「中小・ベンチャー企業支援」に向かわせた原体験
──まずは、これまでのご経歴についてお聞かせください。
荻原 はい。今年で50歳、この春から3度目の起業に挑戦中です。中小企業やベンチャー企業の皆さんの役に立つようなことを生業にしたいと思って、ずっと突き進んできました。
2つ目に立ち上げたソウルドアウトでは、中小・ベンチャー企業専門のデジタルマーケティング支援をしていました。その前のオプトはデジタルITマーケティングの会社で、10年間、幸せな会社員生活を送らせてもらったと思っています。
──幸せな会社員生活から一転、苦労の多い起業の道を選ばれたわけですが、そのルーツは、どこにあったのでしょう?
荻原 一番は、子どもの頃の体験ですね。うちの父は、靴と鞄を販売する会社を経営していまして、店舗をいくつか持っていたんです。私は幼い頃、社長の息子として何不自由なく暮らしていました。ところが、ある日会社が倒産して、家に借金取りが押し寄せるような生活になったんです。それまで父に擦り寄ってきていた人たちが、手のひらを返したように悪く言うのも見ましたし、何より父が疲れ果てて、自信を失っていた。それが、本当にショックでした。
父は忙しい人であまり家にいなかったんですが、私は父にかわいがられているのも、愛されているのもわかっていましたし、父のことを尊敬していました。子ども心に父が悪く言われるのが悔しくて「俺が仇を討ってやる」と思いました。理屈じゃないんです。「いつか自分が会社を作って成功して、父を悪く言った人たちを見返してやる」と胸に湧き上がるものがありました。その時から起業することを決めていた感じですね。
──最初の起業は大学を卒業されてすぐの頃だそうですが、そうした体験が原点にあったんですね。
荻原 そうです。ただ、それは知人に誘われて3人で作った会社で、私は社長ではありませんでした。店にある陳列棚やショーケース、マネキンなどの店舗什器を販売する会社で、私は営業担当でした。新しくお店を出す人に什器を卸したり、イベントを企画して使ってもらったりしていました。
最初は3人とも「やるぞ!」と燃えていましたが、だんだんうまくいかなくなりました。経営は、主語が「自分」だとうまくいきません。今思うと、私は「こんな風にキャリアを作って、のし上がっていくんだ」といったことばかり考えていて、お客さんの方を向いていなかったんです。仕事とはお客さんの役に立つことで、お金をもらえるものです。当時は経営のこともよくわかっておらず、失敗するべくして失敗したんだと思います。
ただ、そこで、ひとつ印象的なことがありました。私たちが起業したのはインターネットの黎明期です。1995年にWindows95が出て、ようやく日本にインターネットが普及し始めた頃ですね。什器のネットショップも細々とやっていて、そこにぽつぽつとマネキンなどの注文がくるんです。インターネットといってもせいぜいメールができるくらいのものだろうと思っていましたが、モノも売れるのだということに衝撃を受けました。
大きな仕事ではなく「肌ざわり」のある仕事を
──それが、デジタルマーケティング支援に関わる仕事に就くきっかけになったのでしょうか
荻原 そうですね。でもそのことはすっかり忘れていました。夢破れてがっくりきていたときに、サイバーエージェントの藤田晋さんが史上最年少で上場したというニュースを見たんです。藤田さんと私は同じ歳で、「この差は何だ?どうやってあんなに成功したんだ?」と刺激を受けました。それで「そういえば、ネットショップでマネキンが売れてたっけ。これからはネットと広告を使えば、たくさんの人の役に立てる仕事ができるのかもしれない」と考えるようになったんです。
そこから、デジタルマーケティングの仕事を探してオプトに就職しました。オプトは最高の環境で、創業者の鉢嶺さん始め経営陣を尊敬でき、一緒に働く仲間も一生の仲間と思えた。そこで「起業するんだ」という気持ちがどこかへ行ってしまって、「このままオプトに残って経営者を狙えばいいや」と思った時期も結構長くあったんです。
──そこから、どうしてソウルドアウトを立ち上げることになったんですか?
荻原 電通とオプトの資本提携がきっかけになりました。電通と一緒になったことで、それまで相手にしてもらえなかったような大企業から、ネット広告の案件がたくさん来るようになったんです。仕事はさらに楽しくなり、ワクワクさせてもらえました。
でも、一方で「これは、別に自分じゃなくてもいい仕事なのでは」と思いはじめたんです。大企業向けの大きな仕事をしたい人はいっぱいいて、優秀な人もたくさんいる。それで胸にぽっかり穴が開いたような気持ちになって、「俺は中小企業を支援することの方が、楽しいんじゃないか」と考えるようになりました。
そこで、自分の棚卸しをしてみたんです。これまでの経歴や考えてきたことを振り返ってみたら1本につながって、「ああそうか、やっぱりこれだった」と2009年にソウルドアウトを作りました。
──ソウルドアウトで中小企業に特化した支援をはじめてみて、良かったことは何ですか?
荻原 仕事に肌触りがあることですね。経営の業績にダイレクトに貢献できているという、強い実感があります。それに、会社が儲かるとそこに雇用がどんどん生まれます。それまで活気のなかった地域にどんどん新しい人が増えていく。そういう成果を間近で見ていると、「自分たちは貢献度の高いことをしているな、意義深い仕事だな」と思えました。
企業を「中」から支えるための仕組み
──そこから、ロケットスターの起業までにはどういう経緯があったのでしょうか。
荻原 ソウルドアウトの立ち上げ時、企画書に「いずれこうなりたい」と書いた内容があります。ロケットスターでやりたいのは、それに近いことです。簡単に言えば、コンサルティングのように外から中小企業を支えるのではなくて、株主としてオーナー権を持って内部でマネジメントをすることです。自分たちが意思決定権を持つスタイルで、中小企業を大きな利益が出るところまで支援するのが、昔からの理想でした。
──中からマネジメントするとなると、自分たちで会社を立ち上げるか、買うか、の二択になりますよね。リスクの高いことではないでしょうか。
荻原 そこは、それほどリスクだとは思ってないんです。幸いこれまでの事業がうまくいったお陰で、資金面には余裕があります。そうしたお金はぼーっと生きているとすぐに無くなってしまいます。それに、ただ持っていたのではしょうがないですよね。お金は有意義に使わないと意味がありません。自分が納得できるお金の使い方をしたいと思います。
──なるほど。具体的にはどういうビジネスモデルなのでしょうか。
荻原 いわゆるサーチファンドです。「将来、社長をやってみたい、経営者になりたい」という社長候補を探してきて、経営権を売りたい企業とマッチングする。マッチングがうまくいったら、ロケットスターがその企業の株を買ってオーナーになります。その上で社長候補の方に、期限を決めてマネジメントをお任せします。
期限までに目標を達成出来たら、改めて社長に株を買い取ってもらって経営権を譲る。その時点で、雇われ社長からオーナー社長になるわけです。私たちはその売買の差額で利益を出すという仕組みです。
──社長になりたい人と売りたい会社を探してきて仲介する仕事なんですね。
荻原 そうですね。ただ、それだけではありません。私たちがやりたいのは、内部から中小企業を支えることですから、社長1人に全部を任せることはしません。社長と企業と私たちは、運命共同体です。
マッチングの段階で社長候補の方のビジョンを聞き、それが叶えられそうな会社を徹底的に探すところから始めて、買収後の経営にもどんどん参画します。マーケティングも営業もしますし、社長をみんなで盛り立てます。
社長になりたいからといって、経営に必要なすべての能力を持っているわけではありません。ビジョンはあっても、組織作りが苦手とか、戦略が立てられないとか、誰でも得意不得意はあると思います。
私たちが社長に求めるのは磁力や引力のようなもの。「この人と一緒に働きたい」と思わせる魅力です。強い光を放つ人であれば、中小企業を1つのチームにできる。足りないところ、苦手なところは、私たちが手伝ったり、外部から適した人材をスカウトしてきたりして、補完します。
もちろん、経営は甘いものではなく、やりたいという気持ちだけでは通用しません。企業でいう部長クラスのミドルマネジメントは経験しておいてほしいですが、一番大事なのは、人・モノ・金を引き寄せる輝きです。私自身が「この人とだったら失敗してもいいか」と思えるような人を探しています。