<7月18日はネルソン・マンデラ国際デー>「虹の国」を目指した黒人政治家


支配のない平等な世界のために戦い続けたネルソン・マンデラ。人種差別撤廃に一生を捧げた彼の人生は勇気と希望の象徴です。

27年もの投獄生活を経て南アフリカ初の黒人大統領となった彼の功績を称え、彼の誕生日の7月18日は「ネルソン・マンデラ国際デー」と定められました。
しかし、この日は単なる記念日ではありません。私たち一人ひとりが、平和で公正な社会の実現に向けて行動を起こすことを求める日なのです。マンデラの生き様から、私たちは何を学べるでしょうか。

差別や偏見のない世界を目指し、小さな一歩を踏み出すヒントがここにあります。世界が直面する問題と、自分ができることについて、このコラムを通じて一緒に考えてみませんか。


より良い未来に向けて行動を起こす日

2009年、国際連合は、南アフリカ共和国の元大統領であるネルソン・マンデラの功績を称え、彼の誕生日である7月18日を「ネルソン・マンデラ国際デー」とすることを宣言しました。

アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃といった人権と社会的正義を求めるために生涯を捧げた彼は大きな功績を残しています、彼のように他者に尽くし、その尽くすための時間をとることで、自分たちのコミュニティに変化をもたらすことを目的にしています。

ネルソン・マンデラ国際デーの制定は、彼の理念と行動を私たち一人ひとりが思い起こし、平和で公正な社会の実現に向けて積極的に行動することを促す、国際社会全体の決意表明といえます。

アパルトヘイト撤廃に生涯を捧げる

ネルソン・マンデラとは、南アフリカ共和国のアパルトヘイト撤廃に生涯を捧げた人物です。1994年、南アフリカで初めて黒人大統領に就任。これは、アパルトヘイトによる人種隔離政策が廃止され、多人種が共存する社会の実現に向けて、大きな一歩となりました。

彼は、単なる政治家ではありません。27年もの間、アパルトヘイトと戦い、獄中生活を送りました。その経験は、彼を偉大な指導者へと成長させました。彼の行動力、そして何よりも、どんな時も希望を捨てなかった不屈の精神は、多くの人々に勇気を与えました。

彼の功績は、ノーベル平和賞受賞に象徴されます。1993年、長年にわたる人種差別との闘い、そして民主的な南アフリカの建設に貢献した功績が認められました。これは、彼個人の栄誉だけでなく、アパルトヘイト撤廃のために闘ったすべての人々への賛辞でもありました。

ネルソン・マンデラ。それは、希望を象徴する名前です。彼の生き様は、私たちに「誰もが差別のない、平和な世界を築ける」というメッセージを伝えています。

合法的に黒人を差別できる非人道的な政策

南アフリカは、かつて「アパルトヘイト」と呼ばれる人種隔離政策が行われていた国です。黒人は白人よりも劣っているとされ、政治や経済、社会のあらゆる面で差別を受けていましたが、ネルソン・マンデラは、この状況を良しとしませんでした。若き日の彼は、アパルトヘイトの現実を目の当たりにします。そして、この不条理な制度に、強い憤りを感じたのです。

1944年、彼は「アフリカ民族会議(ANC)」に加入します。ANCは、アパルトヘイト廃止を目指す組織です。彼は、持ち前の行動力と指導力で、ANCの活動に大きく貢献していくことになります。

当初、ANCは非暴力的な抗議活動を行っていました。しかし、南アフリカ政府は、彼らの訴えに耳を傾けようとしません。それどころか、アパルトヘイト政策は、さらに強化されていきました。

政府の弾圧は激しさを増し、1960年には、ANCの活動が禁止されてしまいます。非暴力による抵抗が限界に達したと悟った彼は、ANCの準軍事組織「ウムコントゥ・ウェ・シズウェ」を設立します。そして、政府機関への武力攻撃による、抵抗運動を開始したのです。

しかし、彼の活動は、政府の厳しい監視下に置かれます。1964年、彼は、国家反逆罪などの罪で逮捕され、終身刑とされてしまうのです。反アパルトヘイト運動の指導者は、長い獄中生活を強いられることになったのです。

27年の獄中生活でも失わなかった希望

逮捕されたネルソン・マンデラは、ロベン島にある刑務所に送られます。過酷な労働と劣悪な環境の中、彼は自由を奪われた生活を送ることになります。

過酷な肉体労働を強いられ、人としての尊厳を踏みにじられる日々が続きました。しかし、彼は決して希望を失いませんでした。不屈の精神で、過酷な状況を生き抜こうとしたのです。

獄中生活においても、彼は、反アパルトヘイト運動の象徴として、世界中の人々に希望を与え続けました。彼の釈放を求める声は、世界中で日に日に大きくなっていったのです。

そして彼は、獄中で勉学に励みます。法律を学び直し、法学士号を取得しました。そして白人支配の象徴言語であったアフリカーンス語を習得しています。彼は、教育こそが、差別を克服するための、最も強力な武器だと信じていたのです。

長い年月が流れ、国際社会からの圧力が高まる中、南アフリカ政府は、アパルトヘイト政策の終わりを余儀なくされます。1990年2月11日、彼は、27年ぶりに自由を得たのです。

釈放された彼は、71歳になっていました。しかし、彼の闘志は、少しも衰えていませんでした。彼は、南アフリカの民主化に向けて、再び活動を始めたのです。彼の不屈の精神と、揺るぎない信念は、世界中の人々に、深い感動と勇気を与えました。

南アフリカ史上初の黒人大統領に就任

1990年2月、ネルソン・マンデラは27年におよぶ長い獄中生活から解放されました。世界中が歓喜に沸き、彼の釈放はアパルトヘイト撤廃への大きな転換点となりました。その後も、1994年、南アフリカで初めて、肌の色による区別なく、すべての人が平等に投票できる選挙が実施されました。そして、この歴史的な選挙の結果、アフリカ民族会議(ANC)が勝利し、彼は南アフリカ共和国史上初の黒人大統領に就任しました。75歳のことでした。

長年、人種差別と闘い、自由と平等を訴え続けてきたネルソン・マンデラ。彼の闘いは、南アフリカの人々だけでなく、世界中の人々に希望と勇気を与えました。大統領就任は、彼個人の勝利ではなく、彼を支え続けた人々、そして、自由と平等を求める世界中の人々の勝利でもありました。

差別や偏見のない社会の実現に向けて

ネルソン・マンデラの生涯は、差別や偏見のない社会を実現するために、私たち一人ひとりができること、そして、目指すべき未来を力強く示唆しています。

現代社会においても、差別や偏見は多く残っています。目に見える形が変わっても、私たちは無意識のうちに偏見に囚われてしまうことがあります。例えば、特定の国の人に対して抱くイメージや、性別による役割分担、障がいの有無に対する先入観など、私たちの周りには偏見を生み出す要素が溢れていると言えるでしょう。

彼は訴えます。「教育とは、世界を変革するために用いることのできる最も強力な武器である」と。差別や偏見をなくすためには、まず自分自身の中にある偏見に気づくことが重要です。そして、正しい知識を身につけ、多様な文化や価値観に触れることで、他者への理解を深めることができます。

私たち一人ひとりの行動が、差別や偏見のない、より良い未来を創造していくのです。

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