〈エイプリルフール特集〉世界を変えた嘘。壮大なビジョンを掲げ、ほら吹きと言われた偉人たち vol.3 エジソン


4月1日はエイプリルフールです、私たちはみんな「嘘はいけない」と教えられて育ちますが、この日だけは世界中の人や企業がいたずらを楽しみます。
「嘘」はときに、大きな原動力になります。歴史上でさまざまに成し遂げられてきた、世界を変えるような偉業。その多くは、周囲から見れば絶対に達成不可能だと思われるものでした。「あいつは、ほら吹きだ」と笑われるほどに壮大なビジョンを原動力に、困難に打ち勝つ。このシリーズでは、そんな偉人たちを紹介していきます。


1200時間以上点灯する白熱電球、蓄音機、動画撮影機キネトグラフ……。幼少期から好奇心旺盛だったトーマス・エジソンは、生涯でおよそ3000もの発明品を作ったと言われています。

そして白熱電球を改良するために失敗した数はなんと2万回とも言われています。しかし彼は「私は失敗したことがない。 ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。」という言葉を残しています。

何万回もの彼の挑戦が実を結ぶまでのストーリーを、このコラムでは紹介します。

好奇心旺盛がゆえに小学校に通うことができなかった幼少期

トーマス・アルバ・エジソンは1847年2月11日、オハイオ州マイラン村で生まれました。父サミュエルはオランダ系で、母ナンシーはスコットランド系でした。
幼少期からエジソンは好奇心が旺盛な子でした。算数の授業では「1+1はなぜ2になるの?」や国語の授業では「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」といった質問を連発し、頻繁に教師を困らせていたといいます。そんな質問で授業の進行を妨害していると、たった三カ月で小学校を退学になってしまいました。しかし母ナンシーは、そんな彼に家庭で手厚く教育を施しました。
エジソンは幼い頃から旺盛な好奇心を示し、読書や実験に没頭しました。そして、自宅の地下室で実験室にし、化学実験にふけっていたといいます。ある日、人間が空に飛べる薬を作ろうと、ヘリウムガスで自作した薬を友人に飲ませました。しかし結果は薬を飲んだ友人が激しい腹痛に襲われるだけに終わってしまいました。なぜ物は燃えるのか、と疑問に思い、自宅の納屋を全焼させたこともありました。

このようにエジソンは独学で科学の基礎を学び、10代でさまざまな知識を身につけていきました。幼少期の家庭環境や体験が、エジソンの創造性や実践力の基盤となったのです。

1093もの特許を取得した、発明家エジソン

トーマス・エジソンが最初に取得した特許は、1868年に出願した「電子投票記録機」でした。
この発明は、議会での投票結果を自動的に集計し、記録するための装置です。
当時、議会での投票は手作業で行われており、集計に時間がかかるだけでなく、ミスも多発していました。
エジソンは、この問題を解決するために、電子投票記録装置を考案したのです。

しかし、この発明は議会で採用されることはありませんでした。議員たちは、自分たちの牛歩戦術が使えなくなることを嫌がったのです。
エジソンは、この経験から、発明が社会に受け入れられるためには、技術的な優位性だけでなく、人々のニーズに合致していることが重要だと学びました。

その後、エジソンは次々と新しい発明に取り組みます。
1869年には、銘柄と価格情報を刻印する「株式相場表示機」の特許を取得しました。業界で大きく評価された株式相場表示機、当初彼は5000ドルほどで特許権を売る予定でしたが、4万ドルという破格の金額で買い取られたのです。
この発明は、株式市場で大いに活用され、エジソンの名を一躍有名にしました。

エジソンは、1877年に「蓄音機(フォノグラフ)」を発明し、特許を取得しました。
この発明は、音声を録音・再生することを可能にし、音楽産業に大きな影響を与えました。
また、1879年には「白熱電球」の改良に成功し、特許を取得しました。この発明は、安全で安価な照明を提供し、人々の生活を大きく変えました。

エジソンは、生涯で1,093件もの特許を取得しました。
彼の発明は、電球、蓄音機、映画、電話など、多岐にわたります。
エジソンの特許の多くは、現代社会でも広く使われており、彼の功績は計り知れません。
エジソンは、発明家としての才能だけでなく、ビジネスマンとしての手腕も優れていました。
彼は、自らの発明を事業化し、大きな富を築きました。
エジソンの成功は、発明家としての能力と、ビジネス感覚の両方によるものだったのです。

白熱電球の改良成功の鍵は京都の竹だった

エジソンは1878年に白熱電球の開発に着手しました。当時、ガス灯の寿命は短く実用化には至っていませんでした。エジソンは電球の構造を分析し、フィラメント(発光体)の材質に着目します。

世界中から6000種類以上の材質を取り寄せ、紙、葉っぱ、なんと友人のひげなども使って、ありとあらゆる素材で実験を行いました。
1879年10月、エジソンは綿を炭化させたものをフィラメントにした電球を完成させました。この電球は40時間以上も点灯し続けたのです。

更に点灯時間を伸ばそうと、試行錯誤していたところ、たまたま研究室の机の上にあった竹製の扇子を見つけました。その竹を使って、フィラメントを作ってみると、なんと200時間も点灯したのです。そしてフィラメントの材料を「竹」に絞った彼は、全世界から集め始めました。そんな時に京都府八幡市に良質な竹があると聞きつけ、それをフィラメントにしてみると、1200時間も点灯し続けたのです。

エジソンの白熱電球は瞬く間に世界中に広がりました。電気による照明は、ガス灯に代わる新しい光源として人々の生活を一変させたのです。現代の白熱電球は、エジソンの原型を基にさらに改良が加えられていますが、その基本構造は変わっていません。

エジソンの功績は、単に白熱電球を発明したことだけではありません。電球の量産体制を整え、配電システムといったインフラを構築したことで、電気の利用を一般家庭にまで広められるようにしたのです。エジソンの白熱電球開発は、単なる一発明品誕生の物語ではなく、人類を照明の新時代へと導いた偉業だったのです。

エイプリルフールに学ぶ、実現不可能なビジョンと思われたエジソンの偉業

トーマス・エジソンは、数々の画期的な発明によって現代社会の基盤を築いた人物です。
彼の功績は、電気、音響、映像など多岐にわたっています。私たちの日常生活に欠かせない白熱電球、映画などは、いずれもエジソンの発明によって生まれたものです。

エジソンの発明は、単に便利な製品を生み出しただけではありません。
例えば、白熱電球の普及は夜間の経済活動を可能にし、産業革命を加速させる原動力となりました。
蓄音機は、音楽を大衆に届けるメディアとして大きな役割を果たしました。
キネトスコープの発明は、映画産業の礎を築き、20世紀の大衆文化を花開かせることになったのです。

また、エジソンは卓越した発明家であると同時に、優れた事業家でもありました。
彼は研究所を設立し、大規模な研究開発体制を整備しました。
これにより、アイデアを実用化し、事業化するプロセスが確立されたのです。
現代のイノベーションは、このエジソン型の研究開発モデルに基づいているといえるでしょう。

エジソンの功績は、科学技術の発展だけにとどまりません。
彼の「天才は1%のひらめきと99%の努力である」という言葉は、イノベーションに必要な資質を示す名言として、今なお多くの人々に影響を与えています。
また、失敗を恐れずに挑戦を続けるエジソンの姿勢は、起業家やベンチャー企業の模範とされています。

エジソンの残した功績と精神は、時代を超えて受け継がれています。
彼の発明は日々進化を続け、私たちの生活を豊かにし続けているのです。

そして、エジソンの挑戦者精神は、イノベーションを生み出す原動力として、現代社会を力強く動かし続けているのです。

周りから「嘘」だと思われたビジョンを原動力にし、エジソンは多くの発明品と技術革新を行ってきました。エイプリルフールを機に彼の偉業を振り返り、未来を切り拓く方法を考えましょう。

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