【コラム】<4月19日は地図の日>50歳から始まった伊能忠敬の挑戦


ビジネスにおいて、年齢にとらわれずに学び続けることはとても大切です。社会や経済は常に変化しており、今持っているスキルが通用し続けるとは限りません。

17歳で酒造業などを営んでいた伊能家に婿入りした伊能忠敬は、傾いていた伊能家を立て直し、莫大な財産を築きました。49歳で隠居し、そのままのんびりと余生を過ごすと思われた彼は、なんと50歳で天文学者に弟子入りをしたのです。天体観測や測量について懸命に学び、自らの足で測量を続け、ついには正確な日本地図を完成させました。

彼が地図を作るために、測量に出発した最初の日である4月19日。そんな地図の日をきっかけに、チャレンジ精神を持って生涯学び続けた伊能忠敬のストーリーを振り返ってみましょう。


家業を全うした第一の人生

伊能忠敬は、1745年(延享2年)に現在の千葉県九十九里町で生まれました。幼名は、三治郎、三兄弟の末っ子でした。17歳で、酒造業や金融業を営んでいた伊能家の婿養子になり、伊能家の十代目当主になりました。

佐原村という土地で、商売の手腕を磨き、家業のほか村のため名主や村方後見として活躍します。彼は、伊能家の商人として、着実に実力をつけていきました。
江戸との取引では、幕府とのつながりも築いていきます。これらの経験は、後の測量事業を進める上で、重要な基盤となったでしょう。

商人としての活躍は、彼の人生の礎となった時期だったと言えるでしょう。
商いの現場で培った実践力と、学問への探求心が、測量家としての道を切り拓いていくことになるのです。
彼の生涯において、商人としての経験は欠かせない一ページとなっています。

生涯の師である高橋至時との出会い

伊能忠敬は50歳になると、家業を息子に譲り、江戸に移り住みました。彼が江戸に上京した目的の一つは、暦学の研究を深めることでした。そして江戸での暦学研究の中で、天文学者であった高橋至時との出会いを果たしました。弟子入りを許された時、忠敬は50歳だったのに対し、師匠の至時が31歳でありました。

忠敬は、至時の弟子となり、暦学や天体観測について学ぶことになりました。天体観測では毎日太陽と星の観測を行い、熱心に学んでいた姿から「推歩先生」(推歩とは暦学のこと)のあだ名で親しまれました。至時との出会いは、忠敬の人生を大きく変えました。暦学と測量技術の研鑽を通じて、忠敬は日本全国を測量する壮大な構想を抱くようになったのです。

忠敬にとって、至時は単なる師匠ではなく、生涯の師であり、良き理解者でした。至時の薫陶を受けた忠敬は、やがて日本測量の第一人者へと成長していくことになります。

「地球の大きさを知りたい」が日本地図作成のきっかけだった

伊能忠敬は、日本全国を測量し、正確な地図を作成するという壮大な偉業を達成しました。きっかけは天文学に熱中するようになってから、正確な地球の大きさを知りたいと思うようになってきたことでした。

当時地球が丸いということは、すでにわかっていましたが、正確な地球の大きさまではわかっていませんでした。そこで蝦夷地までの測量をまずは開始させようと動き始めました。幕府に調査許可を貰わなければならないところ、難航しました。なんとか調査許可とわずかな手当が降りましたが、ほとんど自腹で費用を負担しなければならないという、厳しい条件でした。しかし、地球の大きさを知りたい好奇心と地図作成への熱意もあり、蝦夷地に向かいました。

幕府の許可とわずかな支援を得て、実現に向けて動き出した蝦夷地の測量。このとき彼は日本全国測量の構想を持っていたかは、はっきりとはわかっていません。しかしこの蝦夷地への測量が日本全国測量への第一歩となったことは間違いありません。日本全国を測量するという前人未到の挑戦に、彼の情熱と決意が注がれたのです。

驚くほど正確だった「伊能図」

蝦夷地から戻ってきた伊能忠敬が作成した地図は、師匠の至時からも江戸幕府の役人からも評価され、認められました。そしてそこから伊豆・東日本東海岸、東北日本海沿岸、東海・北陸、近畿・中国、四国、九州、伊豆諸島、江戸府内と次々に幕府から測量の命を受け、測量を続けていきました。

彼が日本全国の測量を完了したのは、1815年頃のことでした。その後、彼は膨大な測量データをもとに、日本全国の地図作成に取り掛かりました。この地図は、後に「伊能図」と呼ばれ、日本地図作成史上の金字塔となりました。

測量が完了して、地図の作成作業については、1817年の暮れには終わらせる予定でしたが、計画は大幅に遅れてしまいました。そんななか、持病のぜんそくが悪化した彼は、1818年に、地図の完成を見ることなく、73歳でその生涯を終えました。
地図は未完成だったため、彼の弟子たちなどによって作成作業は続けられ、死後3年経った1821年に完成しました。

伊能図は、日本の測量・地図作成技術の到達点を示すものでした。その精度の高さは、現代の地図にも匹敵すると言われ、現代のものとほとんど誤差はありません。彼の業績は、日本の測量史・地図作成史に不滅の足跡を残したのです。

伊能忠敬の生涯から学ぶ教訓とメッセージ

伊能忠敬の生涯は、私たちに多くの教訓とメッセージを与えてくれます。何よりも、彼の「チャレンジ精神」と「献身的な努力」は、現代を生きる私たちにとって大いに学ぶべき点だと言えるでしょう。

彼は、50歳を過ぎてから測量の世界に飛び込み、測量技術を身につけました。困難な状況にあっても、決してあきらめることなく、自らの目標に向かって突き進む姿勢は、私たちに「何事にも挑戦することの大切さ」を教えてくれます。

また、17年間に及ぶ測量旅行の間、彼は様々な困難に直面しました。しかし、それらを一つ一つ乗り越え、日本全国の測量を成し遂げました。この献身的な努力と粘り強さは、私たちに「困難に立ち向かい、最後までやり抜くことの重要性」を示してくれています。

加えて、彼の「真摯な姿勢」と「謙虚な人柄」も見習うべき点です。彼は、常に真摯な態度で測量に取り組み、自らの技術を高めるために弛まぬ努力を続けました。

彼の生涯は、「夢や目標に向かって挑戦し続けることの大切さ」「困難に立ち向かい、最後までや抜く強い意志の重要性」「真摯な態度と謙虚な姿勢の大切さ」など、私たちに多くの教訓を与えてくれます。

現代社会を生きる私たちは、挑戦し続けるという彼の生き方から学び、自らの人生に活かしていくことが大切なのではないでしょうか。彼の偉大な功績とその精神を、私たちは永遠に語り継いでいかなければなりません。それが私たちが学ぶべき最大のメッセージなのかもしれません。

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