PRという言葉を聞いて、どのようなイメージを抱くでしょうか。テレビCMや新聞広告、SNSを活用したキャンペーンなど、現代社会におけるPR活動は多岐にわたります。しかし、PRの歴史をたどると、その起源は古代ローマにまで遡ることができます。
このシリーズでは全4回に渡って、古代ローマにおけるPRの萌芽から現代のPR活動に通じる戦略まで、時代を超えて受け継がれてきたPRの本質を探ります。
vol.1 建造物に自叙伝、広報官…多様に権力をアピールした古代ローマの有力者たち
今回の記事では、中世ヨーロッパにおけるPRの発展についてさらに深く探っていきます。
当時の社会では、読み書きのできる人は限られていましたが、権力者たちは宗教儀式や建築物を通じて自らの権威を広め、影響力を高めていました。カール大帝の戴冠やゴシック大聖堂の建設は、その代表的な事例です。また、15世紀に活版印刷技術が登場すると、情報伝達の方法が大きく変わり、書籍など様々な印刷物が広く普及するようになりました。
中世ヨーロッパのPR手法を通じて、現代のマーケティングに活かせるヒントを見つけていきましょう。
「カールの戴冠」のPR効果
カール大帝(シャルルマーニュ)は、768年にフランク王国の王として即位し、西ヨーロッパ全域にわたる広大な領域を支配しました。彼は軍事力を駆使して領土を拡大し、「カロリング・ルネサンス」と呼ばれる文化的復興を推進することで、ヨーロッパの政治、文化、宗教の基盤を築いた重要な人物です。
800年、カール大帝はローマ教皇レオ3世によって神聖ローマ帝国の初代皇帝として戴冠されました。この戴冠式は、彼がヨーロッパ全土を統治し、教会と世俗権力を統合する象徴的な出来事として歴史に名を残しています。教皇の手によってローマ皇帝として戴冠されることは、彼の支配が「神に選ばれたものである」というメッセージを発信し、彼の権力と名声を強く示すものでした。この儀式を通じて、カール大帝の支配が神聖なものと見なされるようになり、広く支持を得ることになったのです。
現代のPR活動と比較しても、カール大帝の戴冠は、権威の確立とイメージ作りにおいて効果的な手法でした。宗教的儀式を利用して自己の正当性を強調し、支持を拡大する戦略は、まさに中世におけるPRの一つの形といえるでしょう。
大聖堂が示すPR
ゴシック様式の大聖堂建設は、中世後期における壮大なプロジェクトであり、都市の指導者や教会の権威者にとって宗教的、政治的、社会的に重要な役割を果たしていました。この建設には多くの年月や労働力が必要とされましたが、都市の人口が増加する中で、大聖堂はその富と名声を象徴する建物となり、都市の中心的な存在として機能しました。
11世紀から13世紀の間に、ヨーロッパ北部の都市は急速に人口が増加しました。そのため多くの都市では、既存のロマネスク様式の大聖堂が人口に対して手狭になってしまったのです。この問題を解決するために、新たに威厳を持つ建物が求められました。都市の指導者たちは、大聖堂を富と権威の象徴と見なし、その建設を奨励したのです。
大聖堂の内部には、巨大なステンドグラスや納骨堂、彫刻があり、その荘厳さを如実に示していました。特に大聖堂内の彫刻は、聖書の物語や登場人物を描写し、メッセージ性を持っていました。当時、多くの一般的な信者が読み書きができなかったため、これらのデザインを通じてメッセージを伝えようとしたのです。
ノートルダム大聖堂やシャルトル大聖堂をはじめ、ゴシック様式の大聖堂は、単なる宗教建築以上のものであり、都市の繁栄、権威、信仰を象徴するものでした。建設には何世紀にもわたる努力が注がれ、技術的挑戦と多くの人々の貢献によって成し遂げられました。その壮大さは、現代においても中世ヨーロッパの都市と社会の野心と能力を示すものとして評価されており、当時のキリスト教がいかにしてその権力を民衆にアピールしたかが示されています。
印刷技術の発明とチラシの登場
羅針盤や火薬とともに「ルネサンスの三大発明」と呼ばれる印刷技術は、広告や情報伝達の歴史に大きな影響を与えました。15世紀半ばにグーテンベルクによって活版印刷技術が発明されると、印刷機によって大量の印刷物を作成することが可能になりました。これにより、書籍が大量に刷られ商品として販売されるようになり、大衆の人々は様々な情報を容易に入手できるようになったのです。
活版印刷術の発明は、ヨーロッパの知識階層だけでなく、一般大衆にも大きな影響を及ぼしました。情報の流通速度が飛躍的に向上し、手書き写本に頼っていた時代には想像もできなかった規模で知識が普及しました。特に宗教改革においては、マルティン・ルターが自身の主張を迅速に広めるために印刷技術を活用しました。ルターの『95ヶ条の論題』が印刷され、多くの人々に届けられたことは、宗教改革の成功に欠かせない要因の一つとなりました。
印刷革命は、ルネサンスの文化的復興を促進し、さまざまな学問分野の発展を支えました。歴史書、小説、技術書など、多様なジャンルの書籍がさまざまな言語で出版されることにより、母国語で本の読み方を学ぶ人が増えました。これにより教育水準が向上し、一般市民の識字率も高まりました。グーテンベルクの印刷革命は、知識の拡散と社会の変化に大きな影響を与えたのです。
活版印刷はその後も急速に発展し、出版や広告に大きな影響を及ぼしました。活版印刷が引き起こした「情報革命」は、現代においてもさまざまなメディアが広がり、現代のPRの起源ともいえるでしょう。
称号授与によるPR効果
エドワード1世は、イングランド王として13世紀から14世紀にかけて、大ブリテン島統一のため、ウェールズを制圧し、スコットランドの征服を図りました。彼は多くの法令を発布し、国勢を整えることで、大陸諸国と比べて強大な王権を確立したことで知られています。
エドワード1世は、ウェールズ大公の称号を与えることで自身の権威を強調しました。彼の治世中、ウェールズはイングランドにとって重要な地域であり、エドワード1世はこの地域を手に入れようとしました。ウェールズを侵攻し統合する過程で、彼は長男の皇太子エドワード(後のエドワード2世)にウェールズ大公の称号を授けました。
この称号を与えた理由は、ウェールズの称号を残すことでウェールズ人の反感を和らげるためでした。それと同時に、エドワード1世がウェールズを含む広範な地域の支配者としての地位を確立するための戦略的手段でもありました。この称号の付与によって、ウェールズの人々に対しても彼の権威を認めさせ、イングランド王国との統合を進めました。
このように、歴史におけるPR戦略では、称号を利用して自らの権力を示し、支配力を強化するという行為が見られます。特別な名称を与えることで人々に強く印象を残すというこの戦略は、現代のPRにも通じるものがあります。
まとめ:中世ヨーロッパ広告の意義
中世ヨーロッパにおけるPRは、形態こそ現代とは異なりますが、情報を効果的に伝達し、人々の行動を促すという本質的な役割は同じでした。
技術や社会の制約がある中で、いかに創意工夫を凝らして効果的なPRを行うか、その姿勢は現代の広告界にも示唆を与えるものがあります。
中世の広告の歴史を紐解くことで、私たちはPRの本質、そして人々の心に響くコミュニケーションの在り方について、貴重な洞察を得ることができるのです。