情報過多社会で意思決定の精度を研ぎ澄ます、直感と定量思考。異なる視点から考える「アイデンティティのつくり方」(前編)

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現代は「一億総クリエイター時代」とも言われ、インターネット上には無限の情報が溢れています。従来の偏差値や大企業への就職といった決められた選択肢に囚われない様々な価値観や生き方が生まれ、自由に選択できる時代。その中で生きる多くの人々は「自分らしさ」を模索し「自分とは何者か」という問いに直面しています。

そんな時代の若者たちに手を差し伸べるのが、アイデンティティ・アカデミー(Identity Academy)を創立し、『アイデンティティのつくり方』を共著した森山博暢さんと各務太郎さんです。森山さんは外資系投資銀行で債券のトレーディング業務に従事し、生粋の定量思考を持つ一方、各務さんは「デザイン思考」を駆使し、数値化が難しいクリエイティブの第一線で活躍する定性思考の持ち主です。

今回は、著者の二人に担当編集者の小早川幸一郎がインタビューし、異なる視点から導き出された「アイデンティティのつくり方」について深掘りしていきます。

前編では、森山博暢さんに定量的な視点から捉える、アイデンティティの見出し方についてお話を聞きました。

※この記事は、2024年6月配信の、クロスメディアグループの動画コンテンツ「ビジネスブックアカデミー」を元に文章化し、加筆・編集を行ったものです。

森山博暢(もりやま・ひろのぶ

Identity Academy代表理事
東京大学大学院工学系研究科修了後、1999年ゴールド・マンサックス証券株式会社入社。2015年より金利トレーディング部長を務め、21年間に渡りトレーディング業務に従事する。2020年に大学生を対象に金融のリスクマネジメントを基に意思決定を訓練する「Identity Academy」を設立。これまでに各分野で活躍する200人弱の卒業生を輩出している。著書に『アイデンティティのつくり方』(共著)(クロスメディア・パブリッシング)がある。

「Identity Academy」(アイデンティティ・アカデミー)

小早川幸一郎(こばやかわ・こういちろう)

クロスメディアグループ(株)代表取締役
出版社でのビジネス書編集者を経て、2005年に(株)クロスメディア・パブリッシングを設立。以後、編集力を武器に「メディアを通じて人と企業の成長に寄与する」というビジョンのもと、クロスメディアグループ(株)を設立。出版事業、マーケティング支援事業、アクティブヘルス事業を展開中。

アイデンティティ探しのスタート地点は本能を信じること

小早川 まず、森山さんのこれまでのキャリアについてお話いただけたらと思います。森山さんは外資系の金融業界でトレーダーの仕事をされていましたね。とてもハードな仕事というイメージがありますが、長年、第一線でご活躍されていたんですよね。

森山 私は、新卒から外資系の金融機関でトレーダーとして21年間働いていました。

入社当初は、そんなに長く続くとは思っていませんでした。私が就職したときは、新卒から15年以上働いた先輩がまだいませんでしたし、3年から5年くらい続けばいい方だと言われていました。その中で仕事を続けられたのは、環境が自分に合っていたからだと思います。気づけばあっという間に20年が過ぎていました。

小早川 転職する方も多い中で、20年以上も務め上げるというのは、今回の本のテーマにもなっているアイデンティティを見つけていたということですか?

森山 就職活動の時点で、私はアイデンティティということ自体全く考えていませんでした。当時は偏差値の高い学校に行くことや大企業に就職することを良しとする考え方が一般的で、目の前には決められた選択肢が1つか2つしか用意されてなかったと感じます。だから、深く考える必要がなかったのかもしれません。

一方今は、SNSなどから手軽に多くの情報を得ることができて、様々な価値観や多様な生き方に触れる機会が増えています。その無限ともいえる選択肢の中から、自分の価値観の軸を見つけなければならないんです。

特に学生のうちは、受験や部活などの決められた枠の中で意思決定をしていることがほとんどです。まだ、自分の価値観の軸が定まらない状態で、いきなり「自分の進む道は自分で意思決定してください」と枠の中から放り出されても、簡単にはできませんよね。なので、その答えを探すのに時間を費やしている人が増えていると感じています。

小早川 情報の溢れる今の社会で、答え探しに迷ったときはどのような考え方で意思決定をしていったらいいのでしょうか?

森山 私は、もっとシンプルに感性に従って意思決定をしてもいいと思うのです。やりたいからやる、自分が決めたことだからやり遂げる、それで十分なんです。「これやったら次にうまくいく展開があるか」「このファーストステップは正しいか」などと、誰にも答えの分からない未来を他人に聞いて探そうとすると迷路に入り込んでしまいます。

人の意識の根幹には本能があります。そこから感性は生まれます。アイデンティティを見つける旅のスタート地点は、自分の感性を信じることです。

直感を研ぎ澄ませる、定量思考とは

小早川 森山さんのように金融業界でご活躍されている方は、定量的な考え方に偏ると思っていました。そんな中、本能が大事だと気付かれた経緯を教えてもらえますか?

森山 市場は常に変わるため、短時間で意思決定をしなければなりません。私のいた業界では、1日に数十億から兆円規模の取引が行われることもあります。人の決定に誰も責任を負うことができず、全ての意思決定が自分の責任になる世界です。だから考え抜いて意思決定をするのですが、考える時間が2倍あればいい答えが出るわけでもないんです。そんな時には、直感で選ぶことも必要です。

本能で意思決定ができるようになるには、事前の訓練や経験が不可欠です。例えば、サッカーやバスケットボールなどで、状況に応じて体が勝手に動くようになるのは、一定の訓練を受けた結果です。それが直感を鍛えるということになります。小さな失敗を繰り返して学ぶことで、意思決定の精度は研ぎ澄まされます。

定量的判断は直感をさらにシャープにするための土台です。意思決定には、直感と定量的な思考のバランスが必要なんです。

小早川 森山さんにお会いする前は、金融で培われた考え方とアイデンティティがどう関係あるのか疑問でした。けれど、金融の世界での経験がアイデンティティをつくる礎になったというわけですね。

森山 私のいた会社では常に「プロ」であることが求められていました。プロであるからには、大きな失敗をしたり結果が出なかったりということは許されません。

例えばプロ野球選手は、失敗が続けば「あいついい奴だから残してあげるね」ということはありません。なので、まずは、ゲームオーバーで退場させられてしまうような失敗をしない術を身に着けること。そしてプロであり続けるために、自分の価値観の軸を持つことが大切です。強い選手のプレイをただ真似するだけでは、本当の自分の能力を引き出すことはできません。鍛え方も体格も思考も他人とは、全く違うのですから。

そうすると、自分の価値観や軸を中心とする自分にフィットした戦略を考える必要がでてきます。それが、アイデンティティをつくるということなんです。

アイデンティティを言語化する

小早川 今回、一緒に作らせていただいた本、『アイデンティティのつくり方』は、ビジネス書の中で大きく言うと自己啓発本に分類されます。私がこれまで読んだ自己啓発本は成功例やスピリチュアルな内容が多かったのですが、『アイデンティティのつくり方』は論理的に書かれていて、自分に当てはめて考えることができるので、原稿を読んでいて「腑に落ちる」という感覚を味わいました。森山さん自身、本を書いてみて、どう感じられましたか?

森山 自分の思っていることや考えを限られた文字数で誰でも分かるように表現して、一冊の本にするということは本当に難しかったです。本の執筆は、自分のアイデンティティを言語化する作業でもありました。今、何を伝えたいのか、考えを明確にすることができました。

小早川 アイデンティティの見い出し方を多くの人に伝えたいという想いで、20年間以上務めた金融の仕事を辞めてアイデンティティ・アカデミーを創立されたんですよね。何かきっかけがあったのですか?

森山 今、情報が溢れ、自分らしさを模索する人が増えている中で、自分のやりたいことや好きなことという感性に偏り過ぎた意思決定をしている若者が多いと感じます。その結果、少し調べれば防げるようなミスをして、落とし穴にはまって抜け出せなくなる場面を見かけることが増えました。まだ社会経験の少ない若者が大きな失敗をしてしまうと、自己肯定感が深く傷ついて、新しい挑戦ができなくなることもあります。

一方で、大きな失敗をしてゲームオーバーにならないための術は、学校の授業では教えてもらえません。なので、その術を伝えたいと思ったんです。

小早川 今アイデンティティ・アカデミーではどのようなことをされているのですか?

森山 金融とビジネスに関することを実践的にやってもらっています。さまざまな企業様からご提案いただくプロジェクトに対してアイディアを出し合ったり、実際に資金を渡されて自分達で運用してその結果を競ったり、公式戦の前の練習試合のような感覚で、実践に近い授業を緊張感を持って進めています。

さらに学生は学歴や経歴に関係なく多様な人を集めているので、提案される意見の意外性もあります。実際のディスカッションの場で、発言者がその人の持つイメージとは全く違うアウトプットをすることがあります。すると、そのアウトプットを見た他のメンバーの次のアクションが変わるんですよ。

プロジェクトを進める中で、強く濃い繋がりが生まれて、意見を言い合えるコミュニティが自然とできてくるんです。先生が忖度せず、学生同士でお互いの考え方をストレートに言い合えることが一番の学びだと、実際の卒業生からコメントをいただくこともあります。コミュニティの中で感度が磨かれ「自分らしさ」を見いだせるような環境をつくっています。

時代と共に変わり続けるアイデンティティ

小早川 森山さんは、一流の外資系金融企業で20年以上も務められていて、「自分とは何者なのか」「アイデンティティとは何か」といった悩みには無縁な人のように感じてしまうのですが、お話を伺うと「今でも自分が何者なのかを探している、だからこそ本を書きたいんです」とおっしゃられたことが、とても意外でした。今、森山さんの考えるアイデンティティとはどのようなものか教えてください。

森山 若いうちは、自分の生まれた場所や家族の職業など、属性や肩書をアイデンティティだと考えている人も多いように感じます。でも、年を重ねると仕事だけでなくプライベートでも、結婚や子供の誕生など常に環境は変わっていくので、考えることが増えてくるんです。さらにたくさん経験を積んでいくと、今やっていることが引き起こす未来のリスクや、得られる対価を考えるようになります。その結果、未来の予測ができるようになり、未知の状況や新しい挑戦に対する期待やワクワクする気持ちが薄れてきてしまうんです。

すると、自分が何のために仕事をしているのか、本当に「やりたいこと」や「好きなこと」は何なのかを悶々と考えるようになります。そこで、アイデンティティをさらに深く考えるようになるんです。

アイデンティティは、年を重ねることで変わっていくものです。私自身、今は「これが私のアイデンティティです」と言っていますが、20年後には全く違うことを言っているかもしれません。価値観や考え方は時間と共に変化し、それによって自分自身の捉え方も変わるものです。

小早川 アイデンティティ・アカデミーの学生さんは、大学生や20代、30代のビジネスパーソンが多いですが、私たちと同じ50歳前後の方も、自分が何者なのかを模索しているという人はたくさんいると思います。いくつになっても、アイデンティティを探すという意味では、あまり変わらないのかもしれませんよね。年齢に応じたアイデンティティの考え方があるのかもしれないと感じます。

最後に、この本を読んだ方や、この話を聞いて森山さんやアイデンティティ・アカデミーに興味を持った方に、一言メッセージをお願いします。

森山 アイデンティティについて、実は私自身いつも考えていますし、私の知るどんな偉人でも考えを巡らせています。ただ、アイデンティティについての考えを巡らす道しるべがないと、出口のない迷路の中を彷徨うことになりかねない。迷路の攻略に人生の時間を費やすよりも、もっと幸せになれることに想いを巡らす時間を使って欲しいと思うのです。その一助として今回の本『アイデンティティのつくり方』を活用していただけたら嬉しいです。

編集・文:渡部恭子(クロスメディア・パブリッシング

後編はこちら

アイデンティティのつくり方

著者:森山博暢/各務太郎
定価:1,738円(1,580 +税10%)
発行日:2024年5月2日
ISBN:9784295409649
ページ数:272ページ
サイズ:148×210(mm)
発行:クロスメディア・パブリッシング
発売:インプレス
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