先行き不透明な社会に光を。未来へのステップを可視化する技術【前編】

VUCA(ブーカ)と呼ばれるような、あらゆることが不確実・不透明な現代。科学技術の進歩に夢を膨らませた20世紀から一転し、気候変動や国際競争力の低下に人々の不安は募り、また、人々の価値観も多様化する中で、ますます将来の明るいビジョンは見えなくなってきています。

先行きが見えない時代だからこそ、「明るい未来を想像し、具体的に思考しよう」と提案しているのが、デザイン・フューチャリストとして活躍する岩渕正樹さんです。世界でもまだ事例の少ない岩渕さんの試みについて、『世界観のデザイン』の編集を担当した小早川幸一郎がインタビューしました。

前編では、エンジニアだった岩渕さんがデザインの専門家となった経緯から、「世界観のデザイン」とは何かを紐解きます。

※この記事は、2024年10月配信の、クロスメディアグループの動画コンテンツ「ビジネスブックアカデミー」を元に文章化し、加筆・編集を行ったものです。

岩渕正樹(いわぶち・まさき)

デザイン実践者・研究者・教育者。東京・浅草生まれ。東京大学工学部、同大学院学際情報学府修了後、IBM Designでの社会人経験を経て渡米し、2020年パーソンズ美術大学修了。現在は米JPモルガン・チェース銀行初のデザイン・フューチャリストとして、戦略的な未来洞察や新規サービスのコンセプトデザインに従事。また、東北大学特任准教授として、世界観のデザインの研究・教育を行う。近年の受賞に米Core77デザインアワードなど。Good Living 2050国際ビジョンコンテスト審査員。

小早川幸一郎(こばやかわ・こういちろう)

クロスメディアグループ(株)代表取締役
出版社でのビジネス書編集者を経て、2005年に(株)クロスメディア・パブリッシングを設立。以後、編集力を武器に「メディアを通じて人と企業の成長に寄与する」というビジョンのもと、クロスメディアグループ(株)を設立。出版事業、マーケティング支援事業、アクティブヘルス事業を展開中。

エンジニアからデザイン・フューチャリストへ

小早川 岩渕さんは、ニューヨークを拠点とするデザイン実践者・研究者・教育者でいらっしゃいます。ご出身は東京・浅草ですよね。

岩渕 生まれも育ちも東京の浅草という、チャキチャキの下町出身です。浅草には三社祭という大きなお祭りがあり、毎年お神輿を担いでいました。地元や町内の絆も厚く、小学校時代の同窓コミュニティは今も続いています。

中学高校時代はアニメやゲーム、SFにハマって、秋葉原に通い詰めていました。それが高じて東京大学工学部に進み、ITやプログラミングを勉強し、情報工学を専攻しました。

大学ではヒューマンインターフェースを研究していました。新しいタッチ式入力インターフェースや情報提示の手段など、次世代の情報メディアを研究していました。例えば、空中に浮かぶディスプレイなど、SF映画からインスピレーションを受けることもありましたし、ヒューマンインタフェースは人と機械との接点ですから、専攻はエンジニアリングですが、デザイン領域にも重なる部分がありました。

小早川 エンジニアリングがデザインに繋がる領域というのは、大学のカリキュラムにあったのですか? それともテクノロジーを突き詰めていく中でデザインとの繋がりにご自身で気づいたのでしょうか?

岩渕 私の場合は後者です。当時はまだ大学でエンジニアリングとデザインを融合した授業はあまり行われていませんでした。

私が学生の頃、コンピュータのアルゴリズムに基づく美しいビジュアライゼーションで印象的なパフォーマンスを演出するような領域が出始めました。パフォーマンスやアートの分野で活躍するメディアアート集団が登場した時代です。Perfumeさんのパフォーマンス制作などで知られるライゾマティクスさんや、「チームラボプラネッツ TOKYO DMM」などを手掛けるチームラボさんが代表的です。彼らの作品を通して、「技術が社会にどう出ていくのか」や「人々がどう技術を感じ取るか」に強い関心を持つようになりました。

卒業後は、日本IBMというIT企業で、戦略コンサルとしてキャリアをスタートしました。エンジニアリングを突き詰める道もありましたが、新しい技術シーズをビジネスに結びつけ社会へ出していく実践をしたかったのです。

デザイナーとしてのキャリアは、社内のデザイン部署への異動がきっかけです。「デザイン思考」という言葉がビジネスの領域で急速に普及してきたのを機に、UXデザインやデジタルサービスのデザインなどを手掛ける部署に移りました。

デザイン領域で仕事をしていくうちに、最先端のデザインをもっと追求したいと考えるようになり、2018年にアメリカへ渡りました。GAFAに代表されるように、アメリカの巨大IT企業はデザイン領域で進んでいるイメージがあったので、自分がどれだけ通用するか試してみたいという気持ちもありましたね。ニューヨークにあるパーソンズ美術大学に通い、デザインについて学び直しました。

小早川 パーソンズ美術大学を修了後は、JPモルガン・チェース銀行の初のデザイン・フューチャリストとしてご活躍されています。デザイン・フューチャリストという聞き慣れない職種も興味深いですし、デザインの領域とはイメージが結びつかない業界なのも面白いですね。

岩渕 現在の職に出会ったのは、奇しくも新型コロナがきっかけです。留学中のアメリカでロックダウンが実施され、まったく外に出られなくなりました。「いままでの常識が通用しない世界になるかもしれない」という、あの時の不安感は大きかったと思います。社会全体が不透明さに包まれているような状態でした。

当時の社会情勢を背景にして、アメリカの先進的な企業の中に、未来のシナリオを描き出すような職種で人材を募集する企業が現れました。「デザイン・ストラテジスト」や「デザイン・フューチャリスト」などの新しい職種で、ポストコロナで世界がどうなっていくのかという未来洞察を行い、デザインの力を使って望ましい未来のシナリオを可視化したり、戦略的に組織を導いていく仕事です。

採用情報の職務内容に「未来学」や「デザインを通じた未来洞察」といった単語が登場した時、「まさに私がやりたかった領域だ」と思いました。その職種を中心とした就活を経て、私はJPモルガン・チェース銀行というニューヨークに本社のあるメガバンクに採用されたという経緯です。

銀行でデザインの仕事をするのは面白いですよ。金融・お金は社会の血管のようなもので、誰もが使い、文化や環境、技術や経済など、社会のあらゆる要素につながっているので、未来洞察をするという意味では、学際的に様々な観点で社会をリサーチしなければなりません。例えば、アメリカでは日本よりも政策の変化が人々のお金の貯め方や使い方に大きく影響するような気がします。次期アメリカ大統領が誰になるのかが、人々とお金の関係性、ひいては銀行や金融の未来に影響する可能性があるということです。

いままでなかった職種なので、社内でも「フューチャリストって何ですか?」と聞かれます。誰かの指示を待つのではなく、自分からミッションや未来志向の考え方を発信し、周囲を感化していくことが求められるポジションですね。

「社会を何とかしたい」という使命感

小早川 今回『世界観のデザイン』というご著書の編集を担当させていただきました。初めての著作を出版されましたが、なぜ本を書こうと思ったのか、書いてみてどう感じたかについてお聞かせいただけますか?

岩渕 この本を書くに至ったきっかけは、端的に言えば、まったく明るい予感がしない未来を何とかできないかという「もやもや感」でした。

子どもの頃は、21世紀というとすごい未来のような響きで、希望に満ち溢れているようなイメージがありましたが、いざ21世紀に突入したいま、現実は気候変動や戦争、少子高齢化や国際競争力の低下などの暗い話題ばかり。政府や国際組織が明るいビジョンを提示してくれることもありません。

一方で、日々の仕事では、先進技術を使って世の中を良くしようと取り組んでいるはずなのに、いま挙げたような社会問題が良くなっていく気がしない。自分が社会に良い影響を与えている実感が持てない。目の前にある仕事と、社会という大きな存在がまったく繋がっていない気がしてしまいます。

このような違和感から、「我々自身が明るい未来像、ありたい社会の世界観を作っていかなくてはいけないのではないか」、そして「それは誰もができることだと人々のマインドセットを変えていかなくてはいけない」という思いを持ちました。そうして、自分で模索しながら体系化した、「世界観」をつくれるようになるための「デザイン」の理論を人々に伝えようと書いたのが『世界観のデザイン』です。

出版してみると、「社会を何とかしたい」という思いに共感してくれる人が大勢いることがわかりました。これまでも講演やnoteの記事などで同様のメッセージを発信していましたが、やはり書籍の影響力は桁違いだと感じています。この本は私の個人レベルの違和感から始まった活動ですが、同じように考える人が一人でも増えてくれると非常に嬉しく思います。

小早川 ご著書は日本で発売しましたが、取り上げられている事例や内容は日本に限定されたものではなく、世界の事例が豊富に盛り込まれていますね。

岩渕 本書で「世界観」と表現した、未来やビジョンのデザインの分野は、世界的にも実践事例がまだ少なく、体系的な方法論が確立していない領域です。「世界観の定義は?」「具体的な事例は?」という疑問を多くいただきます。

そのため、世界観の考え方を説明するには「百聞は一見にしかず」で、いろいろと理論を文章で語るよりも、具体的な実践例やイメージを見ていただきたいと考えました。そこから先人や専門家に声をかけ、図や画像の掲載許可を取って回ったのが、一番大変なところでしたね。

日本だけではなく欧米、北欧、台湾など、世界各地の実践者やアーティストに、事例提供を依頼しました。許諾を断られたり、多額の使用料を求められたりして諦める部分がありながらも、何とか納得のいく数の図や画像を入れ込むことができたと思っています。

この書籍について英語でSNSに投稿したところ、海外のデザイナーやフューチャリストから、驚くほど多くの反応をいただきました。嬉しい誤算でしたね。今回の出版がゴールではなく、日本語版を第一歩として、多言語化され世界に広まっていくことを期待しています。

抽象的なビジョンの解像度を上げる

小早川 ご著書はタイトルのとおり、「世界観」がキーワードです。岩渕さんの考えられる「世界観」とはどういうものでしょうか?

岩渕 「世界観」という言葉は、日常会話にも出てきますよね。「あの映画の世界観が良かったね」などの場合に使われる「世界観」という言葉は 、一般的に「設定の細かさ」や「リアリティ」などの意味合いで使われています。本書が目指すのは、そうした「世界感」の性質をビジネスの場面に応用するものです。

例えば、ある会社のビジョンが「生き生きとした社会を作る」だとします。これでは抽象的すぎて、具体的にどんな社会なのかイメージできません。誰が、あるいは、何が「生き生きとしている」のか。その社会は現在とどのように違うのか。その時代の政治や経済はどのような仕組みなのか。スローガンのような抽象的なものに、問いや思考実験を重ね、足りない視点や設定を加えていきます。そうして、企業やビジネスの目指す姿を共通してイメージできるようにするのが「世界観」です。

企業のビジョンなどは、美しいスローガンで 語られることが多くあります。しかし、同じ言葉でも人によって捉え方が異なります。さまざまな人に聞いてみれば、違う意見が出てくることもあるでしょう。関係者だけで理解されているような言葉の制約や縛りに捉われずに、解釈を広げて考えるなど、スローガンの解像度を上げていくさまざまな方法を本書で提案しています。

小早川 なぜいま、世界観が必要なのでしょうか?

岩渕 現代はVUCA(ブーカ)と呼ばれるように、あらゆることが不確実・不透明な時代です。昔は国や国際機関などの強烈なリーダーがトップダウンで「こっちに進もう」とビジョンを提示してくれていましたが、いまは明るい未来図を提示するリーダーが不在になってきています。加えて、多様性やジェンダー平等などが謳われ、さまざまな価値観が内包される社会において、一律的なビジョンを盲目的に信じて突き進むという時代ではなくなってきました。

それならば、「それぞれが目指したい世界観を自分の言葉で作るべきではないか」と考えました。この思いに共感するビジネスパーソンを増やしていき、ボトムアップの力を結集することで、未来が良くなるかもしれない。これが、本書に込めた野望です。

編集・文:成田路子(クロスメディア・パブリッシング

世界観のデザイン

著者:岩渕正樹
定価:2,178円(1,980円+税10%)
発行日:2024年8月23日
ISBN:9784295410065
ページ数:288ページ
サイズ:210×148(mm)
発行:クロスメディア・パブリッシング
発売:インプレス
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